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『忙しいのは良い事だ』 ~忙しいに居場所を求めるオトナタチ~ 【本日の呪い】

(※この記事も余談以外の主な内容は、全部無料で読めます)

「アンタみたいに暇じゃないの!(怒)」と、ちょっと立ち止まって花や虫を観察したり、道端の猫と遊ぶゆとりも無くなるほどに
オトナタチの時間やら心に余裕がない現代。

上みたいなセリフで罵られて、「暇人=ダメ人間」みたいなイメージ刷り込まれ。『忙しい』を理由にイライラする側に押し負けて、ついつい顔色を気にしたり、忙しくない自分を否定したり、不必要な忙しさを作ったり。
皆と同じように」忙しく、自分も行動してなきゃと。
体力・気力のキャパを越え、しんどくなってる人達を
わりとよく見るこのご時世。

とろでだ、

自分自身もちょいちょいと、日常のふいの会話の流れでは
「おっ、最近どう?」「ぃやー仕事が忙しくて」「まぁ、このご時世忙しいほど仕事あるのは良い事か(°ω°)」ってわりと言っちゃうことあるが。

本人が楽しく活き活きできるよな、忙しさならば良いけども。
心身共にすり減らし、イライラしだしてしまったり。自分も自分の大切も考えられなくなるくらい、常に何かに追われてる忙しさ とかに対してもついつい言っちゃうこの感じ。「忙しくて」に疲弊が視えるなら、全部が良くなどないだろに。

『忙しいのは良い事』と、呪われてしまったのはいつだろか?
そして、その呪いをかけたのは、そういや一体『誰』だろか?

コレ、絶賛予測不能な命を預かる幼児の子育て中の人だとか、意思疎通も難しく手のかかる介護中の人だとか。その他にも職場とか「一定の責任」を負わなければいけない立ち位置で、ソレを丸投げする「共同者」に対してイライラするのは全く別の話しだし。むしろそういうイラ立ちは、自然なことではあるのだが。
そういう利害のまるでない、 大人 対 大人の世界でも。
アンタみたいに暇じゃない側を、暇な側が気遣って合わせろ!みたいな圧力を、さも当然の顔でかけちゃう人等がおることも一因だよなと思うけど。

その前段として そもそもで
忙しく働いてなかったら」「誰か(家族等)の為に尽くしてなかったら」「お金をいっぱい稼げなきゃ」「いつも頑張り続けなきゃ

『自分の居場所や価値はない』

なんて強迫観念を潜在的に刷り込まれ、その行動の必要・不要を度外視し

兎に角『 暇と思われないようにしなきゃ』って、

自分の属する集団(親族・学校・職場・地域等)の同調圧力みたいのに呑み込まれ。自らいらない忙しさ作りをしちゃうよな、そんな要素もないだろか?

で、

その『無理やりに作った忙しさ』、ソレがなければ虐げてくるような人達に「合わせ」「気遣い」「追い込まれ」一緒に過ごしておることは

この先の人生、残りの貴重な時間を生きるのに、ホントに大事な事 だろか?

とは言え、忙しく働くこと、傍から見てバカじゃないの?ってくらいの残業をする事に関しては。
現代的な杓子定規の『残業が多い=無能』って図式には必ずしも当てはまるモノじゃないっていうとこは。IT業界の片隅にサラリーマン技術者に化け10年数年ほど潜伏し、ほぼ終電帰りが日常+休日・深夜作業多々の生活してたしわるので。
割り切って若いうちに、ちゃんと残業代が出る場所で短期集中で稼ぐとか。難易度高い現場を回せる実力を、身につけられる仕事を経験したいとか

(深夜や休日しか止められない重要システム対応は、必然的に時間外にながちで。不測の事態発生時、単独で対応できる実力がないと任せられんので。むしろ実力が付けば付くほどに、その個人に仕事が偏る なんて「業種」もわりとある)。

目的を持って自らで『あえて選ぶ忙しさ』が必要な人達や時期もある
っていうことは、一応知ってる化け猫ポチ。

だから『忙しさ=悪』って、言いたい訳じゃなく。
とは言え 忙しさ人の優劣を求めたり、ソレで相手や自分を卑下したり。
ただ『忙しくしているか』に価値存在意義を求める発想は、お互いしんどくなるだけで要らないんじゃあないかねと 猫なオイラは思うのだ。

身近な人が忙しくしてるからって言ったって、特に分かち合えるでも
自分がやる必要のある事や やれる事もないてのに
「自分だけ暇していたらダメ!」なんて、そんなこたぁナイ訳で。

昼寝しようが、遊びに行こうが、生産性とは程遠い趣味に没頭してようが。相手の忙しさが減りも増えもしない なら、同調する意味なぞないし。
ソレで双方「心の余裕」も無くなって、イライラピリピリしちゃうとか、些細な誰かの行動に不平不満を溜めるとか。
あまりに不毛で不要だし、イライラし合ってしまうとか、むしろ利点はないもんで猫にゃ意味分からんのだよ。

自分が忙しく働いてる時間に、同世代の仲間が楽しく飲み会していても
「忙しい自分を気遣って楽しむな!」なんて思ったこたぁまるでなく。
そうやって、仲間たちが創った楽しい居場所に自分のタイミングが合う時に、気まぐれにやってくるノラ猫みたいに混ぜてもらえれば オイラァそれで十分で以上も以下もないんだな。

過去ブログでトップ画像のサブタイトルにしたように
『イライラ側に合わせても、良いことなんてないんだにゃん』

ひたすらコレに尽きるって、猫なオイラァ思うけど
さてさてその辺どうでしょう?

それでも『でも』って思うなら

『忙しいのは良い事』で、そうしていないとダメだって、どんな環境・教育で思わされちゃってきてるのか。
そして、その呪いを継続し、アナタ自身にかけたのは『誰』なのか?

ココに向き合い問いかけを、すると呪いが減る かもね(°ω°)



と、今日の主題はココまでで。

こんな考えや疑問が浮かんだ背景は、何でだろう?って言うような、興味を持った方向けに。ここから先はプライベートも含むので、試しに面倒除けで有料にしてちょろっと参考までに書いてみます。
本題と本質部分は既に全部書いたので、以下はただの余談程度の内容です。

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ただの猫の戯言ではありますが、少しでもナニカのきっかけになれていたら幸いです(´ω`*) 猫なので餌付けしてもソレだけで懐くことはナイですが、それでも良ければいただいたものはポチの珈琲代やご飯代になります。 コメントをいただく場合は、「はじめまして」の※の注意事項をご一読願います