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「曼荼羅を描くことは趣味じゃない」と改めて思った出来事


曼荼羅さんが切手に


それは、一昨年の暮れ頃だったでしょうか。
とある会社から
「あなたの曼荼羅を出展して欲しい」との連絡をいただきました。

日本とフランスで美術品を切手にし
フランスのギャラリーを借りて切手シートの展示会をする という企画で

企画に参画しているフランスの美術評論家が私の描いた曼荼羅を見つけ
ぜひに、と言っているー

という話でした。


私の曼荼羅さんが切手になって世界を旅するのかぁ
海外の人にも私が描いた曼荼羅さんを見てもらえるし

なんか素敵♪


そう思って

企画を主催する会社に協賛金をお支払いし
企画に参加することにしました。

ちょうどコロナさんが世界中で流行り出したこともありましたが
企画も延期されたものの無事開催されたとのことで
開催報告書と切手シートが送られてきました。

しばらく自宅を離れていたので
実物を見たのが
送られて1ヶ月ほど経ってから。

実際形になったものを見て
ひと安心…
切手シートを見た母もとても喜んでくれて
嬉しかったんです。



しかし。



原画が返ってきていないことを思い出しました。

作品の預かり証を手元に
担当者に問い合わせましたが

何度かやり取りしましたが
原画は預かっていない、データをいただいた の一点張り。

らちのあかなさに呆れてしまい
思わずメールに激怒ミサイルを仕込みました(苦笑)





ふと、思いました。



なんか変だなぁ…
今起きている、これは何だ?
どうしてこうなってる?



無視できなくなった本当の気持ち



「あなたの曼荼羅はたくさんの人に見てもらった方がいい」

そう言われて


このことが私の使命かもしれない


そう思い
どうやったらたくさんの人に見てもらえるのか
自分なりにもがいてきました。

ここ2、3年で
合同展示会などに誘っていただくようになり
実際に見ていただく機会も徐々に増え

協賛費を支払ってではありましたが
大きな展示会にも出せるようになり


自分の使命を果たしている


そんな気持ちになっていました。




その気持ちの裏で
見ないふりができないほど大きくなっていた
別の本当の気持ちー



承認欲求です。



私の中で育っていった承認欲求



私が描いている曼荼羅に
興味を示す人が増えるほど
「お絵かき」
と言い放つ家族がいます。


私は趣味で曼荼羅を描いている 
と思ったことはあまりなく

特にそらかな曼荼羅を描いていると
単なる趣味とは思えなくなることがよく起こり

もはやライフワークといってもいい存在です。



心が穏やかな時ならば

単なる趣味のお絵かき
好きなことがあるといいね
ほどほどにね

みたいに言われ 嫌な気持ちになっても

それは

自分の何かが反応していること や
言葉に隠された相手の気持ち があること

私はそんな言葉や感情に従うことはないし
相手に毅然とした態度を取ってもいい
 


とわかるのですが


心のバランスが取れず
囚われてしまうことの方が多く

そんなふうに言われて
嫌な気持ちになればなるほど
私の中で承認欲求が育っていったのです。





「なんでそんなことやってんの?」



企業が絡むと

お金はかかりますが
国内や海外で大きな展示ができます。


そのことを
自分のステータスシンボルにして
他人からも興味を持たれ「すごいね」と言われることで


「あなたが興味を持たず蔑ろにしている私は
こんなにもみんなから思われている存在なのだ」


そう 相手に訴えていたのです。



しかし
私が必死に訴えていた相手はというと

「そんなにお金払ってなんでそんなことやってんの?」と
不思議に思っていたとのこと。



…まあ
こんなものです(苦笑)



あまりにもバカバカしくなり 力が抜けたその時

私の心の中で
隠れる場所がなくなった承認欲求と
「目があった」感覚がありました。


今まで使ってきた その膨大なエネルギー
使う方向を間違えてきたね…


方向転換しよう


と 素直に思えたのです。


方向転換の意志を放つ


そして
意志を発することにしました。


自分の大きな承認欲求と対峙できたことはよかった
エネルギーの使い所を軌道修正していけばいいと思えたのもよかった
曼荼羅さんが戻っても戻らなくても
私や関係した人達の今後が佳きことになればよい
もちろん曼荼羅さんが戻ってきたら良いな
(絶対あると思うけど!)



こんな感じの意志を宇宙に漂わせたところ



すぐに(苦笑)
原画があったとの連絡が来て

程なく無事に
手紙と一緒に原画が戻ってきました。


手紙にはお詫びらしい文字は並んでいるものの

一連のやり取りに関して
本当に謝罪するところには触れておらず


びっくりしたことに
原画を「資料」と書いてあったのです。
原画ですよ。
裏にもサイン入れてるし。

職業柄、多種多様な作品に触れていると推察するのですが
そういう捉え方なのかなぁ…


なんだかいろいろと悲しくて残念な気持ちが残りました。




違和感を無視しない勇気

 


心の奥にある
本当の気持ちが違うと

当たり前ですが
何か違うことが起きます。



心のズレには
気をつけていたつもりでした。

使命や
人のためだ と思うことは特に。





心に感じる違和感をきちんと見つめることは
自我との戦い のような気もします。


今思えば

方向転換する勇気が出ず
違和感を感じながら
自分をごまかし無視し続けていました。



違和感は無視せず
勇気を持って軌道修正するのが大事だな


と身に染みています。


無視し続けると
方向転換にも大きなエネルギーが必要になってしまいますしね。




いつまでこんなことやってるのかなぁ


とちょっともやもやしてしまいましたが。



曼荼羅さんが
気づかせてくれたのかな。





……こうやってまた
単なる趣味で描いてる
とは言えなくなる事が起きたわけです(汗)







ここまで読んでくれてありがとうございます😊

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