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私の娘は、”積極的不登校”です。
私の娘は、つい2ヶ月前に小学一年生になったばかり。ピカピカのランドセルを大喜びで背負っていた姿を見たのは、もう1ヶ月以上前の話。
今そのランドセルは、娘の部屋のすみで本来の役割も忘れて飾りになっている。
娘は小学校一年生を初めて2ヶ月目にして不登校を始めました。
不登校になった経緯については、娘のことなので省略しようと思う。
ここには不登校児の親としての、私なりの葛藤や苦悩について少し話したいと思う。
私自身も不登校を経験したことがある。
いじめを理由に中学2年生の1年間、自宅に引きこもっていた。
娘とは理由も、年齢も大きく違う不登校だったけど、子どもが不登校を選択するということは、とても勇気がいることで、社会から取り残されたような孤独感、自己嫌悪、そんな時間を過ごすことは少なからず理解しているつもりで。
正直娘が不登校になるというのは、入学する前から私はわかっていた。
繊細な性格なのに、芯がある娘はきっと表面上は現代に追いつこうとしているけど中身は昭和の学校という組織の枠からは溢れてしまうだろうな、と思っていた。(私立や少人数制の学校を選びたかったけど、諸事情により断念した)
わかっていたことだけど、いざ不登校になるというときは、気持ちが大きく揺らいだ。
不登校の間の苦しさも、不登校の後の大変さを、私が経験していたから。
同じ苦しさをこんな小さな体で、心で受け止めなくてはならないと思ったら、何もしてあげられない無力さに心が痛かった。
さらに、大多数の人たちと違う生き方というのは、茨の道。
やっぱり人と違うことをするのは、道なき道を歩かなくては行けないことも多い。
できるだけ苦労は少なく、少しでも傷付かず、幸せになってほしいという私の親心というエゴが涙腺を壊していた。
でも…
本当に大多数の人と同じ生き方が娘にとって幸せなのか。
その道に進んだ時に、娘が自分を好きでい続けられるのか。
何のために学校に行くのか。
誰のために学校へ行くのか。
親の役目はなんだろうか。
何度も自問自答して、出した答えは「学校、休もっか」だった。
「学校、休もっか」と言った時の娘のホッとした顔を見て、これでよかったのかもしれないと、少しだけ思えた。
今後の不安がないわけではないけど、今娘に寄り添うことはできている。まずは一つ一つ丁寧に向き合っていこうと思った瞬間だった。
誰のペースでもなく、娘の歩幅に合わせて、丁寧に娘と向き合いたい。
時間は有限だからこそ、今の娘との時間もいつかきっと終わりが来る。
それならば、今与えられた娘との時間はきっと私が最後に見る走馬灯の1ページになるに違いない。
学校じゃなくても勉強はできるし、今は不登校の子も増えて、そういった子どもたちのためにできた制度や仕組みも私の時代より断然増えている。
いろんな居場所もある。大丈夫。きっとなんとかなる。
娘なら、私たちなら、きっとこの道でも拓けるよね。そう思えるようになった。
周囲からの「学校いけないんだね…」「学校行けるようになるといいね」の言葉に心がザワザワする。
娘は可哀想な子どもでも、私が娘を憐んでいることも全くない。
学校行くことがゴールという大前提の話に何度もうんざりしている。
いろんな考えや意見があって当然だと思うし、その人たちの「学校に戻る」というゴールもひとつの正解。
ただ、私の娘にとっての正解であるかどうかは、また別問題。
みんなにとっての正解を私たちに照らし合わせられているようで、とても居心地が悪いと感じることが増えた。
誰も悪くなくて、みんな私たち親子を心配して声をかけてくれているのに、素直に受け止められないことも増えた。
親として、学校に通えるようにするのが責務なのかもしれない。
親ならば、子どもがちゃんとみんなと同じようにできるように導くことを、もっと頑張らなくちゃいけないのかもしれない。
そうかもしれないと、何度も何度も思ったけど…
私は、やっぱり娘の感じていることを肯定してあげたい。心が拒否しているなら、その拒否を認めてあげたい。
その拒否してしまう心の動きにピッタリ合う言葉を一緒に探したい。そのためなら、学校を休んで冒険に出たらいいと思う。その言葉が見つかるまで、一緒にいろんなものを見て、いろんなことに触れて、一緒に考えたい。
そういう親でありたい。それが私なりの親としての責任だと感じている。
「みんな」に入れなくたっていい。
「普通」と言われる道には進めなかったけど、ちょっと大変だけど「特別」な道を選んで、娘にしかみれない景色をたくさん見て、心をときめかせて、その繊細な心でいろんなことを感じて、人生を輝かせてほしい。
そのために、私ができることは、なんだってしたい。させてほしい。
と思っている。
まだまだ不登校は始まったばかりで。
もしかしたら、来週には登校しているかもしれないし、来年も不登校かもしれない。そんなこと、誰にもわからないけど、全力で不登校を楽しみたいと思う。
せっかくなら、「特別」な道を進むんだったら一緒に楽しみたい。
大変なことは多いかもしれないけど、その分親子で成長してみよう。
いつか、そんなこともあったねって一緒に笑いたいから。
だから、積極的に不登校してみよう。