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96「初恋・かた恋」ツルゲーネフ
奇しくも96冊目で96グラム。1ページ目からいきなり空気を読まない人のエピソードであるわりに、そこだけはよく合わせてきてくれた。
本は注意深く読まねばならない。
なにしろ二日続く大雪で、吹雪のなかを雪かき三昧。阿部公房の『砂の女』みたいな生活をしていた。ずいぶん時間がかかりそうだったのでツルゲーネフ『初恋』の電子版を読み上げ機能で聴きながらの作業にした。
ズィナイーダという鼻持ちならない21歳女子に16歳のウラディーミルが恋をする。勉強もせずにのぼせ上って取り巻きみんなで乱痴気騒ぎに夢中になってたら横からこっそりきてズィナイーダに手をつけたのが、なんと自分の父親だった。という、残念な話である。
無味乾燥なAI朗読で聴いているとズィナイーダがお馬鹿さんなのに偉そうなのがとにかく鼻について仕方ない。恋敵がお父さんなのはちょっと珍しいが、年相応に雲散霧消して終わる関係でもあるし、「まあ、たいしてどうともおもいませんね」といった感想だった。
さて、雪かきも終わって落ち着いて紙の本のページをめくってみると、そうそう単純には書かれていないことに気が付く。
小説は、夜中におじさんが三人集まって恋バナをするところからはじまっているのだ。「いやいや私はたいした恋バナはありません」「私も今の妻とすーっと結婚しただけです」という流れの中で「わたしはすごいのありますよ」と言いだしたのが40歳になったウラディーミルである。でも話すのは苦手だから、次までに手記にしてきます、と言い張る。その手記が小説のメイン部分である。
宴会の余興でちょっと恋バナを振ってみただけなのに迷惑な人だ。聞かされるほうは、日を改めて長い手記を聞くほど、真剣に興味があったとは思えない。しかしウラディーミルははりきってしまった。ろくな恋愛経験もない二人に自慢がてらみっちり聞かせることができるとなれば、ただでさえ美化されがちな青春の思い出が、腕によりをかけて誇張されていることだろう。
ズィナイーダの、ただ頭が悪そうにしか感じられない悪趣味なコケットリィも、ウラディーミルおじさんのはりきり過ぎた回想のせいなのかもしれない。
思春期のひと夏を過ごした別荘で、隣に夢のような美女が越してきて、群がる崇拝者を従わせ女王様のようにふるまっていた、という記憶は 本当にその通りだったのだろうか。
没落貴族でひどく金に困っている未婚の女性のところに男たちが毎日通ってきてはどんちゃん騒ぎをしているのは、ほんとうに美を賛美し愛を得んがためだったか。
婿養子で肩身の狭い思いをして暮らしている隣の家の旦那(ウラディーミルの父)と深い仲になるものの、表沙汰になったために捨てられ、追いすがるところを鞭で打たれる。
ウラディミールが回想するとおり、魅力的で頭のいい娘が自分の評判を落としてまで愛を貫こうとした話だったのかどうかは、この内容だけではわからないのである。
ただウラディーミルは案外はやくこの恋のことを忘れて勉強に戻るし、ズィナイーダの消息をきいても、なぜか愚図愚図していてすぐ会いにいかない。その結果、数日違いで彼女が命を落としてしまうのである。
もう永久に会えないなんて!とウラディーミルは嘆いているが、すぐに会いにいかなかったのは、たいした理由でもなさそうではある。
息子にとってのカリスマだった父も、いつも冷たくあしらってきた妻に涙ながらに金をせびり、どうやらそれがもとで卒中を起こして早くに亡くなっている。16歳のウラディーミルの瞳にうつっていた美丈夫で、意志が強く、頭がよくて、モテる父、というのは実在したのだろうか。
ウラディーミルは言う。
おお、青春よ!青春よ!お前はなにごとにも興味をもたず、また宇宙のあらゆる宝を支配しているようにも見える。哀愁さえもお前にとっては慰めであり、悲哀すらもいかにもお前に似つかわしい。
落ち着いてもらいたい。もちろん気持ちはわかる。
しかし40になって独身のまま深夜12時半までおじさん相手に真偽不明な恋バナを夢中になってするようなタイプのウラディーミルである。彼が16歳だったところで、はたしてすべてがそれほど輝かしかっただろうか。
ひたひたと根底に流れるアイロニーに気付くと、急にウラディーミルも父もズィナイーダのことも少し好きになる。誰にだって、青春を美化する権利くらいあるものだ(でも宴会で迷惑をかけるのはよくない)。