読んでない本の書評48「猫語の教科書」
151グラム。猫にとっては少し重いので私が読んでやるしかないのだが、人間にとって不利なことばかり書いてある魔の本。
1980年代、鉄棒する猫というCMがあった。平行に渡した二本の鉄棒を前足でぶら下がって左右にぶらぶら揺れながら器用に前進していく白猫の姿をしばらく映した後「鉄棒する猫を見たら思い出してください」という岸田今日子のナレーションが入る。
あのCMのすごかったところは、「鉄棒する猫を見たら思い出してください」というメッセージまでは焼き付くのに、「何を思い出せばいいのか」という情報がまったく頭に入らないことだった。鉄棒する猫から連想しうるお役立ち情報など、まったく何もないではないか。
タイプライターを打つ猫を見たら思い出すのは「猫語の教科書」である。
表紙の猫の写真は白黒で画質もあらく、今となっては巷に大量に流通する数多の猫写真に比べてずいぶん地味だ。しかし、この写真はいろんなことを一気に思い出させる。
おそらくは先に写真ありきで、このいたずら好きの猫の仕草からいろんな想像を膨らませた作家がいたということ。その作家が考え出したのは、猫から猫へ幸せになるためのコツが人間の道具を拝借して語り継がれていくという、いろんな垣根をつきやぶってしまった愛情ダダ漏れ物語だということ。
タイプライターを打つ猫を見たらそんなことなどが瞬時に思い出されるので、この本は情報のつまった紙という以上に、物質として大切なものであるような気がする。手にふれると表紙が見えるように置きなおして飾っておきたくなるな、と思っていたら巻末のエッセイ漫画で大島弓子が同じことを書いていた。ポール・ギャリコを夢中にさせた猫のツィツアは、やっぱりどこか非常に人間を引き付けるオーラがあるのかもしれない。
そして我が家の猫から、やれドアを開けろ、餌を出せ、ストーブをつけろ、撫でろ、膝を崩せ、パソコンを消せ、本を下ろせ、遊べ、起きろ、とあまた理不尽な要求を突きつけられても、まあ結局猫の言い分が通ることになってるんだから仕方ないよな、と納得できるのは時空を超えてツィツアが私の教育に成功しているからでもある。
タイプライターを打つ猫を見たら思い出してください。