おしどりマコ氏による演説(有楽町 イトシア前 / 2018年10月3日) 文字起こし
2018年10月3日(水)、有楽町イトシア前にて、立憲民主党の街頭演説会が行われました。
街頭演説会の中で、2019年7月に行われる参議院議員通常選挙における、立憲民主党 公認の全国比例の立候補予定者である「おしどりマコ」氏も演説しました。
おしどりマコ氏は、鳥取大学 医学部 生命科学科 中退のお笑い芸人で、福島原発事故以降、東京電力や関係省庁等、原発や放射能について取材しているジャーナリストです。
■ 2018年10月3日(水)夜 おしどりマコ 氏 演説(文字起こし)
皆さん、こんばんはー!
(聴衆 「こんばんはー!」)
おしどりマコと申します。
(聴衆 「待ってました!」)
ありがとうございます。
私は、芸人なんですけど、原発事故の後、取材を始めました。
でー、一応、私もテレビ業界の端っこにいましたので、原発事故の後、沢山の人達が、東京から原発事故の汚染を逃れていくのに、でもそれが、全然ニュースに出てこないっていうことが、とてもショックで、本当は一体、何が起こってるんだろうと思って、そして、取材を始めました。
そうすると、あっという間に仕事を干されて(笑顔)、でー、原発や、政治のことは、みんな、テレビに出てる人達も、みんな色々、考えてるのに、全然口に出せないんだということに、気付きました。
政治のことは口にするなと、しゃべるなと、原発には触れるなと。
議論するどころか、イエスかノーじゃなくて、タブーだったんです。
でもね、本当は、普通にこの社会に生きてるんだったら、当たり前に、政治のことを考えておかないといけなかったと、今まで全く考えてこなかった私が馬鹿だったと、反省しました。
だから、仕事を失くしても、何があっても、ちゃんと社会のことを考えると、そして、原発事故の取材を続けてきました。
2011年から、ずーっと取材を続けてると、色んなことがありました。
でー、まぁ、本当に7年取材続けてきたから分かるんですけど、情報が全然出てこなくなったんですね。
そのターニングポイントは、2012年に衆院選で、2013年に参院選で、自民党が第1党になってからでした。
これは、取材してても、どうしようもないことでした。
原発事故の時は、安倍政権でなくて、民主政権だったので、実は、芸人の私が、取材をできてたと、気付いたんですね。
今の、安倍政権だったら、芸人の私は、東京電力も、経産省も、厚労省も、環境省も、どこも取材できてなかったと思います。
民主政権だから、原発事故の時、私は取材ができたんです。
でー、2012年、原子力安全委員会というところが無くなりましたけど、そこは、もの凄く情報公開をしていて、例えば、2011年3月11日と、ホワイトボードに手書きのメモを全部写真に撮って公開していたんですね。
原発事故の情報は、国民の皆様の関心が高いので公開をしますと、今の安倍政権では、絶対そんなことは無いと思います。
原発事故の前に、情報公開していた原子力保安院の情報を、今の原子力規制委員会は、黒塗りにして出すんですね。
いつの間にか、こんなに情報公開が後退していたことを、私は知りました。
そして、原発事故の追及をしている、国会事故調査委員会、政府事故調査委員会、これが、最終の報告書が出たのは、2012年7月で、その後、止まったままなんです。
ずーっとその後、原発事故の色んなことが分かってきたのに、何にも報告書に盛り込まれてないんです。
それは、2013年から、安倍政権の力が凄く強くなったからです。
取材をしていて、私はひしひしと感じました。
取材をしているだけじゃ足りないんだと良く分かりました。
でー、原発事故の後、私は色々、がっかりしたんですけど、でも、沢山の方々が、社会を考えるために走り出して、私はもう少し、もっとマシな世の中になるんじゃないかと思ってました。
でも、そうじゃなくて、一瞬、そう期待したんですけど、どんどん事故の前のように、戻っていって、どれだけ各地で地震があっても、全国の原発はどんどん再稼動していって、どんどん事故の前に戻っていくことが、その時に私、一番絶望しました。
そしてね、去年、希望の党ができて、そして、民進党が無くなって、あぁ、もう、日本はどうなるんだろうと、私、取材しかしてこなくって、選挙に、大きく関わってこなかったから、私が悪かったと凄く自分を呪いました。
でもね、ひとりで、枝野さんが、たったひとりで記者会見をして、そして、立憲民主党という、新しい名前の政党を作って下さって、本当に私は、嬉しかった。
原発事故の後、
(聴衆 拍手)
本当にね、原発事故の後のテレビのニュースで、私、初めて嬉し涙流したんですよ。
ありがとうって。
どれだけ、覚悟されてたか、腹括ったか。
でもね、1年前の私は、立憲民主党は支持するけど、枝野さんは支持しないとか、そんな風にも考えてちゃってたんです、フフッ(笑顔)。
それは私、民主党とか民進党の枝野さんに引き摺られてると気付きました。
で、私、この1年、どれだけ情報公開が、原発事故じゃなくて、原発だけじゃなくて、どの省庁でも行われてないってことに気付きました。
それまでは省庁が独自でどんどん情報公開を勝手にしてた、国民の皆様のニーズということで情報公開してたのに、いつの間にか、省庁は、政権を忖度して情報を出さなくなってたんです。
もう、これ酷いと思って。
で、私は考えて、色々考えて、次の私の戦いは、枝野さんだと思いました。
1から100まで同じ意見の人なんかいないと思うんです。
すごく、所々一緒になったら、同じ方向を見て戦えばいいと思うんです。
私は、私の次の戦いは、枝野さんを総理大臣にして、
(聴衆 拍手)
そしてね、原発事故の時、官房長官だったからね、その枝野さんを、総理大臣にして、もう一度、事故調査委員会を始めて、情報公開をしてもらいたいと思ったんです。
(聴衆 拍手)
本当に。
(聴衆 拍手)
皆さん、私の周りを変えられるのは、私だけです。
貴方の周りを変えられるのは、貴方だけなんです。
半径5メートルを変えていきましょう。
歯磨きをするように、社会を変えましょう。
(聴衆 拍手)
周りの人と美味しいもの食べて、生活を感じて、そして、社会のことを話し合って、憲法を生活の中に取り入れて、丁寧に暮らしていくことが、憲法を守ること、社会を変えること、そして、立憲民主党いう、名前の党だと思います。
すいません、皆さん、ありがとうございました。
(聴衆 拍手)
[おしどりマコ 氏の演説の文字起こし だいたい完了]
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■ 『10月3日 #有楽町アゲイン1003 』(立憲民主党)
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■ 『枝野官房長官の会見全文〈21日午後6時〉』(朝日新聞 / 2011年3月21日)
■ 『枝野氏「『直ちに』は7回しか言ってない」に非難殺到』(livedoor NEWS / 2011年11月8日)
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