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ウィーンの十二音技法の流派は3つある。シェーンベルク流とハウアー流と・・・ 知らないことばかりな音列の話(Die Klangreihenmusik) 其の1

はじめに

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 今年の夏、Youtubeチャンネル『のらクラシック部』という初心者からマニア、プロアマ問わず楽しめる音楽チャンネルを開設しました。このnoteアカウントでは動画とは別の話題や動画に関するおまけコンテンツなどを投稿していく予定です。もしよろしければこちらもご覧いただけると嬉しいです!

前置き

 (文章,画像:moja) 
  先日、SNSの知り合いでピアニストの榎本智史君が企画したコンサートを聴きに行きました。

 シェーンベルク生誕150周年記念に因んだ十二音技法をテーマにしたプログラムで、「彼が近年熱心に取り組んでいる「十二音技法」が用いられた作品をテーマにした、謂わば集大成的なコンサートだった」と、部員で榎本君の友人でもあるはせが僕に教えてくれました。プログラムは以下の画像のような構成で、すべての曲の演奏が僕が今まで聴いてきた録音含む演奏よりも(ポリーニの有名なグラモフォン盤、ウェーベルンの《変奏曲》よりも!)良かったと直感的に思える素晴らしいコンサートでした。 

今回のプログラムの内容。
パンフレット内側の作曲家、曲目解説もボリュームがあり、且つ分かりやすかった。

「ウィーン十二音楽派」の三つの流派

 さてさて、今回の榎本君のブラボーなコンサートの感想は別に動画で撮ったので今後YouTubeチャンネルの方でVlogとしてあげるのですが、このコンサートを聴いた後に「ウィーン十二音楽派」には三つの流派があるという言葉を思い出しました。確かそれはどこかのWebサイトでみた言葉で、今の今まで全く忘れていました。榎本君のコンサートでは十二音の作曲家として一番有名な「シェーンベルク」と、対となる存在として紹介されやすい元祖十二音技法の「ハウアー」作品を取り上げていました。これが「ウィーン十二音楽派」の2つの流派です。
 それじゃあ、もう1つの流派は?ハウアー、シェーンベルクに教えを受けた作曲家、「オトマール・スタインバウアー」流です。
 オトマール・スタインバウアー(Othmar Steinbauer)の詳しい生涯はInternet arm-chair expertsの叡智、Wikipediaの英語版にも書かれているので今回は割愛しますが、ハウアーとシェーンベルク両氏から教えを受けていた表面上ゴリゴリのアヴァンギャルドな作曲家が、いわゆる「第三の帝国」(noteに言葉狩り検閲ってあるのでしょうか?)に侵略されたオーストリアから脱さず、むしろ「第三の帝国」の支配下で音楽教育関係の職に携わっていたことが意外でした。
 さて、この三つの流派の違いは以下のリンクによると、

・ アーノルド・シェーンベルクは、十二音音楽をクラシック音楽界に定着させ、(感性のみの「自由な無調音楽」ではなく)無調音楽に理論的な秩序をもたらそうとした。伝統を常に意識しつつも、和声法を無視した鋭い攻撃的な不協和音の許容、芸術家自身の閃きや感性を重視した。
ヨーゼフ・ハウアーは倍音や音色を重視した彼独自の音楽観を持ち、西洋音楽の伝統は意識的に放棄、響きや音色を無視した不協和音や芸術家自身の自己表現の為の作曲を否定した。聴き手に対しては瞑想的な没入を求め、作曲家に対してはハウアーの考える、最も自然で調和の取れた状態を作り出す厳格に決められた理論によって作曲を行った[a]。
オトマール・スタインバウアーはシェーンベルクとハウアーの両方に教えを受けた。双方の影響を受けながら、伝統から新しいハーモニーへの橋渡しを試み、ハウアーが発見した穏やかな「十二音技法の中の和声法」を発展させ、それを基に伝統音楽的な文法や対位法と融和させるため「音列の理論」を構築した。
 
 簡単に言ってしまうと、「シェーンベルク流の方が過去の西洋音楽に照らし合わせて理解しやすく後年の発展に繋がり、弟子に音楽関係のビッグネームが多く知名度もあって、それが大きなハンデになった。ハウアー流はゲーテや神秘主義の影響等を受けた独特の音楽観、それに基づいた破壊的なイノベーション(記譜法の発明や偶然に任せた作曲法など)が、西洋クラシック音楽界にはシェーンベルクよりと比べて受け入れづらかった。スタインバウアー流はこの二人の考え方を統合して、十二音技法を伝統的なクラシックに違和感無く溶け込むような作曲法を編み出した」ということじゃないでしょうか?僕はこう解釈しています。
 スタインバウアーを初めとしたハウアーの弟子達は「十二音音楽」の作曲家ではなく「音列音楽」(Die Klangreihenmusik)と呼んだ方が大戦後のシュトックハウゼン、ブーレーズらのトータルセリーとも区別がついて良いのかもしれません(考え方が全く違います)。ちなみにこのDie Klangreihenmusikという音楽用語、ドイツ語版Wikipediaにのみ項目があります。つまり全然流行ってないということかもしれませんね。

 今回のこのシリーズでは十二音技法の音楽家の中でも目立たない、ヨーゼフ・ハウアー流派とそれに連なるスタインバウアー流派、音列音楽に属する作曲家を掘れるところまで掘っていこうというシリーズです。個人の興味と情熱がこの文章を書く原動力の7割くらい、あとはのらクラシック部の宣伝が3割。ちなみに執筆方法としては直接noteに文字を打ち込みながら並行で色々調べているので非常にライブ感の強い文章となっております。また、資料が手に入らず予定していた記事を書けません!みたいなことは起きるかもしれません。勿論ならないようにしますが起こってしまった時はご容赦ください・・・。

ヨーゼフ・ハウアー

 シェーンベルクは最近専門家による日本語の文献がより豊富になっており、嬉しい限りです。特に去年出版された音楽之友社の人と作品シリーズでシェーンベルクの大体のことはわかると思ってます。
  近年の研究で同時代(1910年代)、シェーンベルクの他にも同じように調性に縛られない作曲法を研究する人たちがいたことがわかり、その筆頭としてまず名前が挙がるのがヨーゼフ・ハウアー(1883-1959)です。
 ハウアーは僕の場合、人に紹介する時には「シェーンベルクよりも早く十二音技法を発見した人」と呼んで、十二音技法の裏ボス的な存在として興味を持ってもらいます(実際は裏でもなく当時から重要な人物ではあるのですが)。
 この文章を書いているmojaは第三帝国が退廃的で国民を堕落させるとみなした音楽、社会主義者やユダヤ人達が作った音楽が大好きな為、ハウアーの存在は名前を見るたびに気に掛かる人ではあったのですが、どんな人物なのかや作曲法については詳しくは知りませんでした。単純に英文の難しい本を読むのがしんどいなぁと思ってなかなか行動に移せないでいたのです。けれども、この度榎本君の演奏を聴いてちょっと頑張ってみるかと重い腰を上げる気になってどんな人なのか調べてみたのでした。
 生涯に関してはwikipediaの日本語版にも記事があるのでそれを読んで頂ければ大体把握できると思います。彼の書いた作曲に関する理論書は三冊あって1918年に発行されて5年後に改訂された、いわゆる「世界初の十二音音楽について書かれた本」として知られる『音楽の本質』 "Vom Wesen des Musikalischen"、もう少し分かりやすい文体で書かれており、例えば譜例付きで十二音技法を用いつつ、ロマン派でいうところの情景描写や表現の譜例なども載っている『メロスからティンパニへ』"Vom Melos zur Pauke" 、弟子のヘルマン・ハイス(彼はのちに電子音楽作品で有名になります)と共に書いた『十二音技法』"Zwolftontechnik"の三冊[a]。特に、『音楽の本質』は米国ではパブドメなのでもしかしたら、なんかしたらすぐに読める気もします(実際に探してはいないのでわかりません)。
 ハウアーが特に有名なのは、独自のトローペという作曲技法です。自分で話して文字数を稼ぐのも良いのですが、僕も大変お世話になったサイトがあるので(古のクラオタなら一度は見たことのあるであろう)このサイトのトローペ特集を読んで欲しいです。多分日本語で1番分かりやすくトローぺの簡単な解説をしてくれてます。また、シェーンベルク流派の十二音技法、メシアンのMTLこと「いちょかぎ旋法」、ブーレーズのトータルセリーの手法に関しても丁寧に譜例付きで解説してくれてます。
http://web.archive.org/web/20240703195000/http://www11.plala.or.jp/komposition/musik06.html

(トローぺや十二音技法の作曲法についてはシリーズもの1つとして、また別の記事で取り上げようと思います。この記事ではそこまで深く掘り下げません。あとこの話は資料が手に入らなかったら無かったことになります)。

ハウアーとシェーンベルク

 シェーンベルクの「十二音技法」は、特に第二次世界大戦後に浸透したのですが、ハウアーの手法はほとんど知られていません。前述の通り、おそらく一つの原因はハウアーには弟子に音楽関係のビッグネームの作曲家がおらず、後世に浸透しづらかったのでは無いかと考えています。ハウアーは何度かシェーンベルクと接触したのですが、あまり良い関係は築けなかったようです[a]。1913年、シェーンベルクがウィーンで「グレの歌」を初演し成功を収めた後、ハウアーはシェーンベルクに自作についての意見を求めましたが、弟子のウェーベルンやベルクに相談するように言われたようです。1917年にハウアーはシェーンベルクを訪問、彼の作品に対する批評を受けましたが、シェーンベルクはハウアーの才能を認める一方で、批判もしていました。1924年、十二音技法が世に発表されて以降は最終的に二人のどちらがより早く十二音技法を発見したかで揉め、自分こそが発見者であるという主張を変えることはありませんでした[a]

ハウアーの音楽性や考え方

 僕の個人的な印象では、ハウアーは作曲、メロディを作ったりするなどのその芸術家の何らかの意図が込められる音楽を否定しており、最高の音楽を作るには自然倍音を始めとした人間の意図が介在しない音の規則に従って作曲されるべきだという考えを持った極端な人だと感じています。
 ハウアーの音楽観の一端が垣間見える、とある日本語の論文を読んで面白かったのが未来派の騒音音楽に言及していたことです。十二音技法を調べていてまさか未来派と出会うとは思ってもいなかったのですが、同時代(未来派も1910年代から活発な動きをみせた)の先鋭的な芸術運動に言及するのは当然かもしれません。最後のセクションに載せている論文のリンク[b]を是非読んでください。ロマン派的な芸術表現、作曲法に批判的なことがわかります。また、非音楽的な単なる音、騒音とハウアーの考える音楽の違いにも述べているのでハウアーに興味がある方は是非読んでみてください。
 ハウアーの音楽に影響を与えた他の要素、芸術や思想に関して言えば、僕はバウハウスに関わりのある現代美術やデザインの分野で、独自の色彩論を通じて多大な影響を与えたヨハネス・イッテンとの関わりに特に興味があります。ウィーンで行われたイッテンの展覧会でハウアーは彼と出会い、二人はお互いの思想に共鳴しました。ハウアーはイッテンの抽象画に自身が作曲していた無調作品を想起しました[a]。イッテンはハウアーの《Apokalyptische Phantasie Op. 5》を聴いた際、「ハウアーが書く音楽は自分が描く絵そのものだ」と興奮して語ったようです[a]。その後絵画作品《Zwei Formthemen》をハウアーに献呈しました。20世紀前半に音と色を関連づける考え方は、スクリャービンが《プロメテウス》で取り入れていました(例えば、ハ長調は赤、嬰ヘ長調は紫に近い青など[a])。ハウアーも共感覚的なアプローチには影響を受けていたようです[a]。また、創作初期からハウアーはゲーテの『色彩論』から多大な影響を受け、自身の理論の類似性や裏付けとして広く引用しています[a]。ハウアーのこの辺りの考え方も面白いのですが、ここを掘ると以後の「音列音楽」を知る旅になかなか出発できない為割愛します。

晩年の密かな創作と次のお話

 1938年、例の「第三の帝国」の影響(お馴染み『退廃音楽』のレッテル貼り)を受け活動の場を失うも、1939年から没年である1959年までひっそりと(しかし膨大な量の)《十二音遊戯》という作品を書いていました。このシリーズはトータルで千曲を超えていたようですが、現存する譜面は殆どありません。また、ハウアーの音列の決め方には12枚のトランプを使った方法やサイコロを振って音を決める(!)という手法があるそうで、ジョン・ケージとの類似性を指摘されるもあって非常に興味深ぁなのですが[a]、これは今回のテーマとは少し違うので触れないでおきます。
 ハウアーの研究書や論文は調べると意外にも沢山ある印象でした。今回はハウアーの表面的な部分に触れただけなので時間ができたら彼の書いた文章や理論書をじっくり読んでみたいなと思っています。果たして、ハウアー流の十二音技法の理論はどのように受け継がれていくのでしょうか。次回はオトマール・スタインバウアーについて調べます。

参考文献

[a]Harvey, D. L. (1980). The theoretical treatises of Josef Matthias Hauer. (Doctoral dissertation). North Texas State University, Denton, Texas.

[b]木村直弘 <無調のメロス>を聴く : ヨーゼフ・マティーアス・ハウアーによる12音音楽と雑音音楽の対比をめぐって 岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 13 59-78, 2014-03-31

おまけ

ハウアーの息子、Bruno Hauerはオーストリアではソングライター、プロデューサーだったそうで、Discogs https://www.discogs.com/artist/691918-Bruno-Hauer には結構な数が投稿されてます。また、自分が運営する出版社Fortissimo-Verlagで父の作品の楽譜も出版していました。
参照: https://musik-austria.at/mensch/bruno-hauer/

最後に、この活動や記事に少しでも良いなと思っていただいた方、支援していただければ幸いです!m(__)m

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