謙虚と低姿勢〜多様性が謳われる時代だからこそ〜
久しぶりの投稿をします。
今夜は、ちょっぴりしょうもない独り言にお付き合い頂けたら。
いきなりですが僕は、プライドがとても高い生き物です。
そして、昔から目立ちたがり屋で、盛り上げることが大好きな人間でした。
だから、自分よりも目立つ人、目立とうとしてる人、頑張っている人が嫌いで、割と冷笑することをしていた人間だったんです。
でも、そのくせに「フェア」とか「平等」を謳う都合の良い性分でした。
でも、最近思うんです。
自分は何も成し遂げてない大したことのない人間だって。
就活を通して出会った人とか、インターンで出会った仲間には、企業とかM-1出場とか、一歩も二歩も先をいってる人がいて、それは本当に目的と手段をロジカルに考えて設計してるわけです。
それに比べて、僕はカンボジアでカキ氷を売りさばいたり、バックパッカーをしたりヒッチハイクで日本縦断したりする程度しか出来てないんです。
本当に、誰でもできるようなことをいくつかしただけで、天狗になってたんですね。
それを、とても痛感した2018年だったなと思い返してました。最近。
話は少し変わりますが、最近素直な自分が好きです。
人に対して素直に「すごい」と思って学ぼうとしたり、分からないところや足りないところはしっかりと受け入れて直そうとしてるんです。
偉いでしょう。
前まではありえなかったスタンスを持てるようになったんですもの。
そう、謙虚と低姿勢ですね。
今の自分を俯瞰して見て、しっかり受け入れること。
そして、大好きになった状態で、自分よりも長けている部分を持つ人を正直に「すごい」と認める。そして、学びを請う。
そして、あとはひたすら学んでアウトプットを繰り返す。
決して頑固に排除することなく。
これから、個人の価値観が発散しやすくなり、多様化がさらに加速する時代になると個人的に考えています。
しかし、同時に「多様性」と言う言葉に踊らされた人たちが、「歪められた自由」を絶対的正と見なし、スタンダードを排除してしまう風潮が出てくるのかなとかも思ったりしてます。
例えば、会社に所属することが絶対的でなくなったことから、会社で働く人たちを「社畜」と揶揄して、あたかも可哀想な存在として扱う人たち。
多様性が謳われる時代だからこそ、「なぜ」と言うヒトの行動背景、思考プロセスに興味を持ち、ひたすら学ぶ姿勢で自分をアップデートしていきたいと思います。
謙虚と低姿勢。
決して驕らず、傲慢にならず、2019年は駆け抜けてみようと思います。
ああ、独り言が長すぎて、何人か寝落ちしてしまいましたね。
それでは、今日はこの辺で。
おやすみなさい。