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渡る中国にも鬼はなし(53/67)

第5章 中国第4日目 昆明 
なくし物


  そろそろ寝る時間になり、私は売店の人に部屋まで送ってもらいました。4つ星ホテルの床はどういうわけか厚く絨毯(じゅうたん)が敷いてあり、そうなるととたんに車イスは重く、私のように全身の筋力のない障害者にはつらいものがありました。それを知ってか、彼は部屋まで送ってくれたのです。

 実はその晩、困ったことが起きました
電子手帳をなくしてしまったのです。日本で3万5千円ほどしたでしょうか、結構便利に使っていましたし、住所録も、スケジュールも入れてあります。その電子手帳がなくなったのです。気が付いたのは部屋に戻って、ベッドに横になってからです。普段はウエストポーチに入れていたのですが、探ってみてもありません。母に頼んで部屋中探してもらいました。

 私もどこでなくしたのか考えてみることにしました。そうすると最後に電子手帳を使ったのは地下の売店であることに気が付きました。売店からはどこにも寄らずまっすぐ部屋に帰ってきました。考えられるのは売店しかありません。もちろんエレベーターの中ということはないでしょう。3万5千円という金額も気になりましたが、売店でなくしたということのほうが気になりました。

 今から思うと、ショーウインドーの上で使っていましたが、1度場所を移動しました。そのときに置きっぱなしになったように思いました。置きっぱなしになった電子手帳はどうなったのでしょうか?
 あのとき、私以外、客はいませんでした。お店のだれかが預かっているのでしょうか。

 それとも……。
彼らはその電子手帳に興味を持っていましたし、私は彼らにその値段も言っていましたから、高価なものであることは承知していたでしょう。なんと言っても3万5千円というのは彼らの月収の数ヶ月分になります。「ひょっとして……」いやいやそう考えるのはやめにしました。

 私はその瞬間、不思議な大きな力というか、ある意図を感じたのです。なぜ電子手帳はなくなったのでしょう?もちろん私の不注意であることは当たり前です。しかし、それ以上に何か深い訳があることを私は感じていたのです。中国滞在中に常に感じた大きな大きな力です。私を常に困難な方へ困難な方へ導いた不思議な力です。

 その力は常に人との関わりを持たせよう持たせようと働きました。そう考えると電子手帳がなくなったことも同じことと思いました。これはいわば「試されてる」ということであると思いました。いわゆる神の試練という奴です。その試練を乗り越えればきっと結果は出るだろうと思いました。「人を信じよう!」それしかないと思いました。きっといい結果が出るだろう。もはやそのときには、電子手帳がなくなったことは深い大きな力が私を試していることを疑いませんでしたから、その意図が分かっていました。「手の内」を知っていたのです。きっと、きっと、いい結果が出るだろう。

 電子手帳1つを失っただけで、ここまで話を作り出す私は「馬鹿」なのかも知れませんね。でも、この話を深く深くうなずく人もまた時々いるのです。そういう人には分かるという話でしかないかも知れません。

 そういうことで、ややがっかりしたり、試されてると思ったりしながら、寝ることにしたのですが、寝る段になってまた事件が起こりました。私は普段右を下にして寝ることにしているのですが、運悪く、私は仰向きの状態で寝てしまったのです。この仰向きの状態ですと、私は寝返りをすることもお尻を浮かすことができないので、長時間この姿勢をするとお尻がしびれてきます。そのことに気づいた時には、母は好きなだけ買い物をした女子高生のような幸せな顔をして、いびきをかいていました。

 明日は売店の若いお嬢さん2人と市内を観光に行く約束をしています。寝不足のまま行きたくはありません。かといってよく寝てる母を起こすのは忍びありません。結局私は仰向きで少々お尻がしびれたまま、うつらうつらと寝たような寝てないような状態で朝を迎える羽目になりました。

渡る中国にも鬼はなし(54/67)


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