渡る中国にも鬼はなし(36/67)
第4章 中国第3日目 蘇州->上海->昆明
激辛料理
昆明に連続3日間滞在することになったホテルに着いたのが午後6時半で、早速チェックインを行い、荷物を下ろすと、夕食に向かいました。毎度のことながら、車イスからステップに腰を下ろし、両脇を持ってもらう人と両足を持ってもらう人とでバスの最前列に乗せてもらいます。それが済むと車イスを2つ折りにして、バスの座席に乗せるといざ出発です。
今日は四川料理を食べに行くことになっています。中国には北京料理、上海料理、四川料理、広東料理という四大料理なるものがあるそうです。四川料理というのはどういうものかというと物の本にはこう書いてあります。
四川料理
四川料理は成都や重慶を中心に長江の上流地域の料理で辛味。寒冷な気候のため、唐辛子、ニンニク、ショウガ、山椒、ネギなどの香辛料や調味料を配合した刺激の強い味が特徴。また、内陸ならではの乾物の海産物や漬物などを材料として巧みに利用。
四川料理は麻婆豆腐が陳婆さんが発案したといわれるように、なんとなく庶民臭がただよう。棒棒鶏や担担麺も日本人にはなじみが深い。
ガイドさんから四川料理は辛いということだけは聞いていましたが、食べるのは初めてです。レストランに着き、真ん中がくるくる回る円形の2つの食卓に別れて、まずビールで乾杯となりました。
その後出てきたのがその四川料理です。見ていますとなんだか全体が赤みを帯びています。赤いのはもちろん唐辛子です。いろいろな料理が出てきました。中にはおなじみの麻婆豆腐もあり、大体日本で食べている程度の辛さでしたので、これはすぐになくなりました。
赤色のスープもあり、まさかこれはどうもないだろうと思うと、とんでもない辛さです。言うなれば唐辛子をすりつぶしてジュースにしたようなものです。どういうのか体全体が「カッー」と熱くなります。顔も赤くなり、汗が出ます、鼻水も出てきます。おまけに激しくせきこみます。あわてて水を飲みますがそれくらいでは収まりません。
お肉をピリ辛ふうにカラッと揚げたものもあります。食べた瞬間は問題ありませんでしたが、後でじわーーっと辛さが効いてきます。
出される料理がすべてこれでは訪中団の一行は餓死しないといけません。なんとかまともな料理を探すべく、ここでも若い添乗員さんは苦労して第一番に箸(はし)を付けて「毒味」と言うか、食糧確保に乗り出しました。
それは言うなれば雪山で深い雪をラッセルしてルートを開拓する姿にも見えました。ルートを開拓すると、下でおなかをすかせて待機している訪中団にロープを投げます。「これは辛くないですよ」という添乗員さんのお墨付きを頂き、やっと皆は安心して箸(はし)を出し始めます。
私たち訪中団は快適なルートを得て、辛くないモノを食べましたが、ルートを開拓していた添乗員さんはそうはいきません。ひたすら訪中団のため、会社のため、妻のため、子供のため――深い深い雪をかき分けて出された料理を先頭で箸(はし)を付けたのです。
添乗員さんの雪かきも空しく、ルートを確保してなんとか我々が口にできた料理は出された料理の半分程度で、残りはほとんど手つかずで置いておかれました。もったいない話です。きっと食べられない料理は後で、中国人が食べたのではないかと思います。(冗談です)
料理を食べ終わったころ、何か銀行員風の髪型と顔つきで、それでいて商売人らしいという変わった人が我々の前に現れ「とりいだしましたるこのお酒は――」と口上を述べ始めました。
(この料理と商品販売のワンセットはこれ以降もよく出てきました。)
彼は日本に養命酒というものがあることをちゃんと知っており、さらにどの程度の値段であるかも事前に調べてあったに違いありません。「この中に含まれる薬草の種類は数十におよび、効き目は養命酒の比ではない」と言います。400年前からあるという日本の養命酒が一蹴りにされても、そうかもしれないと、うなってしまいます。なんといっても4千年の歴史のある国です、私たちの知らない薬の数も中途半端ではありません。
そのうえ精力回復とは言いませんでしたが、何か妖(あや)しげな効果がありそうなことをにおわします。さらに「それを今日だけは2500円でお譲りできます」とテレビの通信販売のおじさんみたいな事を言います。
我が訪中団の一行もその口上に惹かれたのか、あるいは妖(あや)しげな効果があると期待されたのか、なんとなくおじさんのペースになってきました。謹厳実直そうなおじさんは、今度はバナナのたたき売り手法を駆使し「えい!、今日はこれを2千円でお売りします」と値下げに出ました。日本の養命酒の比ではないと自信満々に言い切り、我々をぐっと引きつけておいて、値下げ攻撃をしたものですから、言うならば満々と水を蓄えたダムが決壊したような状態になりました。この言葉をきっかけとして、1人購入者が出始めると、我も我もということになりました。
一方私はというと妖(あや)しげな効果を試す相手もなく、またこのおじさんの中国式通信販売をつぶさに分析していましたので、このすばらしいお酒には見向きもしませんでした。
さておもいっきりの激辛料理も済んで、バスに乗りホテルに戻りました。昆明第1日目はそんなわけで無事に予定終了し、後はゆっくり寝るだけとなった――と書きたいのですが、実はまた困ったことが起こりました。
渡る中国にも鬼はなし(37/67)
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