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北京入院物語(5)


一番最後に飛行機を降り、おまけに置き去りにされそうなくらい待たされたせいで、空港内にはほとんど乗客らしき人は見当たりません。
この時間(中国時間午後6時)は到着する飛行機も少なく、硬い大理石の床の上を転がる車椅子の音が聞こえるくらい静まりきっています。


 
 車椅子を押してくれる職員は通りすがりの同僚に
「○×△□」と話していて、私はさっぱり分からないだけに、猛烈な疎外感を味わわざるを得ません。
唯一の味方は出口で待ってくれている叶琳だけです。
 
 うんちくになりますが、北京首都空港は入国審査を抜けると、もう荷物を受け取ってさっさと外に出れます。
え?税関検査は・・・。
私はこれまで10回くらい北京首都空港を利用しましたが、それらしき人も場所もいまだに知りません。
そういう風にして私も職員に車椅子を押され、出口の叶琳と4ヶ月ぶりの握手をし、再会を果たしました。

 

費用の点は保険でなんとかなりそうです。
しかし、それですぐに行ける訳ではありません。
叶琳が紹介してくれた北京にある(らしい)中日友好病院と連絡を取らねばなりませんし、渡航ビザ、お金の両替、言葉の問題・・・等々問題は山積みでした。
 
 中でもこの中日友好病院の入院手続きが大変でした。
なにしろどこに連絡をしたらよいかさっぱり分からないからです。
おまけに事前に叶琳に聞くと、現地の入院保証人が要るというのです。
まず日本語が通じる拠点を確保しなくてはなりません。

 ホームページで検索すると、この病院には日本人の女医がいると書いてありました。
 英語と習いたての中国語を使って、高い国際電話を何回かかけて、やっと当人と話すことが出来、自分の病歴と入院したいことを伝えました。

 彼女は葉という日本人にしては変な名前でしたが、黙って私の話を聞いて電話を切りました。
電話を切って10分後、中国からコレクトコールです。
不審に思って交換手にOKを出すのをためらっていると、この女医の声が聞こえてきて、いきなりこう言われました。
「中国に来るのはやめなさい!。お金をドブに捨てるようなものです。」
北京入院物語(6)


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