北京入院物語(16)
さて週明けの月曜日、いよいよ中国での漢方治療が始まりました。
本来、どういう治療法をどのように受けたか?というこの1点だけを書けば、多くの人の希望に沿うことかと思います。
その詳細を書くことこそ、この北京入院物語の重点とお考えの方も多いと思います。
しかしちょっと待っていただきたいのです。
この医療記事をあえて物語とする理由があります。
難病が治ることを栽培の難しい大輪の花を咲かすことにたとえてみるならば、人はその花の種がどこにあるかとか、その栽培方法を知りたいと思うでしょう。
それは同じことをすれば、同じような結果が出ると考えるからです。
しかし残念ながら同じことをしても、同じ結果が起こるとは言い切れません。
それはある教師が手がつけられない問題児を、リッパに立ち上がらせたことがあったとしても、同じやり方で同じことがなかなか起こらないことと似ています。
そこには手法、技法を越えたその人が発揮する独自性が必要なのです。
その独自性とは、その局面で悩みながら突き進む爆発的な力(エネルギー)です。
そして最終的に自分を大きく変えていく過程で、すべてが変わってくる。
その独自性だけは同じ治療法をやりましたということでは、どうしても抜け落ちてしまいます。
模倣ではどうしようもないものだからです。
自分の生きる力をグングン上げて、力で難病をねじ伏せていく。
治療法のない病気にはこれこそ正攻法ではないでしょうか。
私は薬や治療法を軽視するものではありません。
しかし決め手は本人の生きる力に過ぎないと思います。
私が中国滞在で身につけたものは生命力というものでした。
北京入院物語(17)