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北京入院物語(32)

 多くの人は私の文章を読まれて、「この人は文章を書くのが好きな文科系」と思われるかもしれません。
実は私は約25年前、大学で化学を専攻した理科系人間なのです。

 その当時、大学で、卒業論文をまとめるために毎日化学実験をしていた同じ実験室に,、中国からやって来た国費留学生が1人いました。
 彼は中国で吹き荒れた文化大革命が治まるまで留学できず、気がつくと30代の半ばになり、やっと日本に来たのです。
名前を趙(中国語で ジャオ)と言い、その勉学態度はまじめで、朴訥(ぼくとつ)な性格でした。

 なぜか彼とは気が合い、彼の粗末な下宿に招かれた時、中国に残してきた小学校1年の愛娘から来た手紙を見る機会がありました。
小学校1年ながら、びっしり漢字で埋まった手紙を大事そうに見せる彼が、なぜか不憫(ふびん)に思いました。

 その後、会う機会のないままに月日が過ぎ、今回渡航が決まって以来急に彼のことを思い出しました。
何とか電子メールで連絡が取れるようになって、北京の病室に落ち着いた時に久しぶりに日本語で話をしました。

 

彼は広州という中国でも一番南に住んでいて、北京から直線距離で2000kmあります。
日本の地図で言うと、仮に北京が北海道の函館にあるとすると、広州は沖縄あたりになります。
大雑把に言うと、日本を北から南まで大移動しなくてはなりません。
飛行機で3時間弱、特急列車で24時間です。
私は北京に着いてから、急に趙さんに会いたくなりました。
北京入院物語(33)


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