見出し画像

北京入院物語(15)


病院の近くのスーパーマーケットに入ってみると、あるわあるわ、なんでもあります。
ティッシュペーパーがないなど、いったいどこの話なのでしょうか?。
心配したアルカリ乾電池もあります。
変換プラグなど100円もしません。

 それどころではありません。
えっ、これナニ?・・・というような商品が所狭しと並んでいます。
私はおもちゃ売り場に入り込んだ幼稚園児より喜びました。
通れそうもない狭い通路も足元の商品を動かしてもらって、奥の奥まで突き進みました。



 ところで中国というのはなんといっても12億の人口を抱えています。
私がたまたま入った小さなスーパーマーケットの店員数にはびっくりしました。
各通路に必ず1人の店員が所在なげに立っています。
どう考えても日本の3倍から5倍はいます。
日本のコンビニ程度の店舗の広さに5、6名はいます。



 当然仕事はありませんので、店員同士でおしゃべりをして時間をつぶしています。
給料も低くなります。
しかしながら彼らは、こういうふうにして1つの職場に多くの人がぶら下がって、生活をしています。

 昨今ワークシェアリングという言葉が言われますが、中国はすでにその概念が導入される以前から、自然にこのワークシェアリングを実施しているようで、こんなところにまで人を配置するのか?という場面に出会うことになります。

 

1度こういうことがあると人というのは警戒心が強くなります。
列車が関西国際空港が近づいてくると、ドキドキしました。
今度は駅員が待機していました。
しかし駅の改札口が近づいてくるとまたドキドキしました。
今度は空港職員が待機しているか心配になります。
改札付近には女性職員が待機していてくれました。

 結局、これ以降心配していたことは起こらず、中国国際航空・北京直行便(CA928)は日本時間午後4時定刻通り、関西国際空港を離陸し北京首都空港に向かいました。



 中国の航空会社の機内サービスというのは、日本のそれと比べると手抜きと言っていいくらいです。
しかし、マニュアル通りの笑顔を浮かべた規格された日本のサービスとは違って、よい意味でも悪い意味でもいい加減です。

 重度障害がありながら、単身北京に向かう私に客室乗務員は仕事を忘れ、数々の質問をぶつけてきました。
私は中学程度の英語で答えるしかありません。
規則にはありませんでしたが、スチュワーデスが専属で食事を食べさせてくれました。
食事の介護中も質問攻めで、私はご飯を食べさせてもらっているのやら、質問に答えているのやら分かりませんでした。
 しかしこういう人たちは学歴も高く、英語でなんとかなりますが、北京首都空港に到着以降はこうはいかないと覚悟していました。

 機は韓国上空を過ぎ、海が見えたと思うと、すぐに天津上空を通過し、高度を急速に下げはじめ大きく右旋回をし、北京首都空港への最終進入コースを取りました。
あたり一面広い畑が見え、高度が落ちてくると、レンガ作りの粗末な家々が窓のすぐ下に見えてきました。
手を伸ばせば地面に触れるくらい低空を、すべるように北京首都空港の滑走路に接地すると、ドドドという衝撃と直後のブレーキです。
 私はやや前かがみになりながら、2人の叶に導かれ、4000年の歴史の国に到着したのでした。
北京入院物語(16)


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集