お金を握ると現れる本質について考えてみる。
久しぶりに書いた記事「放置プレイ」からの続き。
有名トレーダーさんが御用になってしまったわけだけど、別にざまーみろとかそんなことは思ってない。
ただ、クスリで御用とは残念だったなぁ。。。と思って。
どうせ御用になるなら相場をやる上で、不正でとかで御用とかなら「漢(おとこ)」だなぁ。。と思ってね。私の勝手な趣味ですけど。
まぁ、サロン砲もどうかと思うけど。
どうせ散るなら相場で散りやがれ!と若干、任侠入ってます(笑)大金を握るとそんなもんなんだなー。握った時にどういう行動するかで「その人の器の大きさがわかる。」
結局、クスリや飲み歩きに使う、豪遊に使うって「お金の制御不能」に陥っているんだね。
私は臆病だし、お酒も飲めないのでソッチ方面は無かったのだけど、占いやスピリチュアルにお金を使ったなぁ。。。最後の方は「当たっても当たらなくてもどうでも良い。」面白そうなのを数人近くに置いておきたかったような傲慢。
自分の頭で考えればわかるような事をいちいちメールしたり電話したり、イベントに行って話してお金を払って来る。
お金を払うことがステイタスだったし、お金を払わないと誰とも話せなかったし、。。。。ただ、それだけ。
結局、一番キツイ時は支えてくれませんでした。
まぁ、そんなもんです。
救われたのは父親の生き様と死に様を見ていたから。
勝手な解釈だけど、純粋に相場を楽しんでいた父は強かった。けど、お金が増えても服装も食べ物も生活もほとんど変わらなかった。
少しだけ夜遊びが増えて、少しだけ旅行に行って、スーパーで割引時間を狙ったお惣菜の買い物が少し増えただけ。安売りの洋服屋でワゴンからいかにイケてるシャツをたくさん見つけ出す事を楽しんでた。
10~11桁稼いだ人が。
「おれ、BMW乗って良いかなぁ。。。一度乗ってみたかったんだ。」って。だって、何台でも買えたのに晩年まで持った事が無かった。
まぁ、相場をやるということは、「今ある。」お金が「明日は無い。」かも知れないという生活。
だけど、相場をやる意義が「お金」にシフトするととたんにズッコケた人でした。相場はうまかったけど、不運を引き寄せるような。。。結果、相場でお金を溶かす。。。確かに、父の一番信頼していた証券マンさんは「社長は相場では1度も負けてません。貴女が相場で負けたのは勉強不足と怠慢です。」って言ってたのは本当だと思ってる。
毎回、大きく負けても普通以上に暮らせるくらいは残るけど本人の落ち込みが激しくて、都度、引っ籠ってました。
最期は引き籠りからの復活直前に心筋梗塞で倒れたわけだけど、最期の電話の発信が「証券会社」でした。
相場で生きて、相場で死んだ。漢だなぁ。。。って思う。きっと、月までいけるくらい稼いでも、きっと大好きなお気に入りのやきとり屋(全部豚だけど)へ行って、絶品のモツ煮込みをお土産に持って帰って来るんだろうなぁ。
相場で大金をつかみながら、危険と隣り合わせなのは肌で分かっていたので大幅に失っても、無意識に張ってた予防線に助けられてます。
もう私は、小遣い稼ぎ程度しかできないけど、結構、相場のヒリヒリが無い生活を楽しんでます。
張った予防線を少しずつ書いていこうかなぁ。。。
「今ある。」お金が「明日は無い。」かも知れないという生活。暴落で被害状況も把握できない中でも毎月の生活費を定額制にして、科目ごとに経費計上して積立て置いたので、犬が急病で医者に行ってもちゃんと払えた。
貯金って考えると、貯まると使ってしまうので、経費として計上して消してしまうのです。