「友だちです。一度もしゃべったことないけど」
きらいな人全員殺しに行く旅できたのになあ。妄想だったのかな。あの物語では、物語を終わらせるというのはつまり、はつ恋をあきらめて、カルテにちゃんと善人って書かれてるひとと結婚をして、台所で魚を切っているこのしあわせをえらぶということだ、と教訓をおっしゃっていたが、私にはどうも、そうは思えない。終わらせるためには、誘惑と、それに負けるよわさが必要だ。タイミングが完璧でないと、ロケットは宇宙へは行けない。消息を絶ったものたちが、どこかで呼んでいる声がするのだが、数字や記号をつかえないと、シャンパンやサボテンの妖術に酔えないと、例の迷路には迷えないらしいのだ。僕ってもう余生なんだ。君もふくめて余生だ。助詞や語尾を処理し出したらもう余生だ。しかし韻律こそが神様の正体だと、かつて説いてくれた教科書、あれはなんだったのだろう。だいたい一度も叫んだことがないというのが問題だ、落ちこんでいるのが問題だ。だれにでもやさしい道徳と東京と名のついた浅瀬、そこを器用におよぐ若者たちとも、僕はちがった。卑怯だからしめだされた。これからもらうあらゆる味の豊穣は、僕に癒着することも、栄養になることもなく、ただ小うるさい自伝として、手もとに着陸していずれ離れてゆくのだと思う。おばあちゃんになったら、谷川俊太郎になったら、大往生っていわれるのかな。むすめを撫でれば完成するのかな。凶器が僕に貫通することで終わる物語なんて、一回きりの夢だったのかな。
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