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広報とは縁深い、「お墨付き」の概念

最近、『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』(通称 #ふろむだ本 )という本を読んだ。内容に大変共感するだけでなく、今まで意識しなかったことも書いてあって、私にはとても良い本だった。

内容を端的に申し上げると、例えば「東京大学を出た」「本がランキング1位を取った」「ブログのPV数が100万越え」などの立派な内容は、その人やその人のやったことを評価するにあたり上方修正を加えるような「錯覚資産」となりえる。それだけでなく、自分自身は無意識のうちに、錯覚資産は評価に多大なる影響を及ぼしているということである。
この本に書いてあることは、広報として企業やプロダクト等の情報を広げるために必須の知識だなと強く思いながら読み進めた。

そう思ったのも、錯覚資産にまさに含まれるであろう「お墨付き」が、広報には欠かせない視点なのではと感じていたからである。

今回は、広報に「お墨付き」の感覚が必要なのかを実体験をもとにまとめる。書評ではなく恐縮だが、この本の内容は無料でも一部読める(しかもそれだけでもかなりためになる)ので、是非以下などからご一読いただきたい。


広報とは、誰かに勧めたくなることと似ている

以前行った、人事関係者向け広報勉強会でこのフレーズを聞き、ああそうだな、と深く納得した。

広報知識云々とかもはや付帯情報である。本質は人に勧めたくなるか、すなわち、人に勧めたくなるくらい良い会社、良いプロダクト、良いブランドであるかであり、そういう人にいかにアプローチできているかである。
感覚的にとても腑に落ちた。この時ばかりは、小難しい広報の専門知識ばかり追いかけていた自分を恥じた。

誰もが、良いと思えないものには時間もお金も使いたくないだろう。

この時代、レコメンド情報はインターネットで探せば簡単に手に入る。評判を投稿するようなWEBサービスや、情報交換するようなWEBサービスはもちろん、最近はお勧めのものについて発信されたTwitterやInstagramの投稿を検索やハッシュタグで見つけるという探し方もある。
そもそも、本当に勧めたいものは、勧めたいという強い感情とともに、誰からともなく、ネットやリアルに放たれていく。そしてそれを欲している人は必ず何処かにいて、またその情報は回り回っていく。
個人的経験では、ネットにはないリアルなおすすめの情報は、限られた所にしか出回らないが、かなり生々しいしハズレがない。

お勧めをされるということは、お墨付きをもらうということともいえる。記事掲載だって、資金調達だって、取引先だって、広く見れば誰かのお墨付きなのだ。
自分より先に誰かが関わった誰かにとって得になっているか。その結果を見て、お金を払ってもよいか、時間を使ってもよいか、そういう期待値が持てそうか。
レコメンド情報を探した上でものを選び取ることが当たり前のこの時代、お墨付きがあれば、皆はリスクが少ないと安心してコンタクトを取れるようになる。

お墨付きがないと、関わらない。なんて贅沢な時代だ。

広報理解の入口も、社内キーパーソンのお墨付き

もう一つ思っているのは、このお墨付きは、社内の広報理解でも大いに言えるということである。

前にも考察した通り、広報とは説明の難しい役割である。となると、学問的(便宜上、理論のことをこう表現させていただく)に理解することは果てしなく時間がかかり、到底難しい。

広報職の本質とも言える、経営に近い目線のことまで業務を広げると、価値を分かってくれるのは経営目線を持つ者だけになりプレイヤーの視点から離れていく。それだけでなく、安易に社内共有できない事柄が増え、何をしている人かが社内に示しにくくなり、結果、社内の理解者が減るというジレンマすらある。

私は、今の会社にて、バックオフィスが一人もいない中で広報を立ち上げ、数年かけてやっと、広報という仕事の社内理解を得てきた。
これも、「以降の論に対して最も確からしいことを言っている」と読者に思わせる錯覚資産となりうるフレーズだそうだ。念のため

個人的な経験でいうと、この状態から広報理解を得るためには、社内のキーパーソンが「あの人が広報のこと、大事って言ってた!」と言うのが一番早い、というのが結論である。
いや、正確に言うと、そこから入らざるを得ないのである。

私も数年間、広報理解を得るためにいろいろなことをやってみた。広報に関する記事を共有してみたり、広報の本を渡してみたり、勉強会をしてみたり。
効果はなかったとは言わないが、広報概念の壮大さや、かけた労力、その時の「なんとなく理解が進んだような感じ」がする反応から考えると、ほとんど効果がなかったと言ってもいい。

「何となく理解が進んだような感じ」が、個人的経験上では最も残酷だった。その時はよい反応をもらえるが、概念が実感値からうわ滑るせいで、その後もその考え方を継続的に覚えているということにはならなかった。また、広報の知識は概念的すぎるので、人によって理解にブレも出る。

広報職の理解にあたっては、
●経営の理解
●投資の理解(目先のメリットではなく先々のメリットのためにお金を使えるか)
●社外視点の有無
など、いくつか価値を理解してもらうためのポイントがあると思っている。これらがある程度以上ないと広報の価値がわからないため、結果的に、理解してくれる可能性がある社員のいる確率も小さくなる。

広報の知識を知ってもらう活動をしても、どれだけ社内行事を目の前で仕切っても、「何をやっているかわからない人」と見られる期間の方がよっぽど長かった。
本当に周囲理解ゼロの場合は、知識をぶつけることよりも「お墨付き」によるベースアップを図った方が良い(ベースアップの話は、ふろむだ本にも書いてあるのでご参考いただきたい)。

まず、広報のことはよくわからなくても「どうやら頑張っているらしい、あの人が言うのだからそうなのだろう、実感はないけど」という期待が少しある状態をつくる。
ここから、多少の(広報担当自身や、広報に対する)興味を持ってもらい、実感を増やしていくという中長期のプロセスを経て、広報理解につながるのではないかのではないかと思っている。

以上の理由により、知識を渡して理解をしてもらうのはかなり厳しい(パイも小さいし、何より時間がかかる)ため、これらを頑張るより、キーパーソンの「お墨付き」をもらう方がよっぽど、広報の知識を渡すよりも何倍も早く理解が進んだ実感である。

幸い、私の場合は、上述した状況でも創業者(キーパーソン)が理解者となって、なんとか広報活動を継続して来れた。トップダウンで無理矢理推し進めた感じではなかったが、折にふれて私の活動の価値を周りに伝えてくれていたそうである。
騙し騙しでも粘り強くやってきた結果、今は、広報の職種アップデート(広報という職種の活動範囲や影響範囲を広げる)という私のやりたいことに、創業者に限らない上層部からの理解と共感をしていただけるまでになった。


1つの「お墨付き」だけでは足りない

社外への広報だけでなく、社内の広報理解のためにも、「お墨付き」をもらうことでスムーズに考えや思いを広げていくメカニズムについて記載してきた。

もちろん、1つお墨付きをもらうだけではダメで、積み重ねていかないと、ブランド力はつくれない。まぐれのお墨付きがあったとしても、そこに甘えているという姿勢はすぐ見抜かれる。
人もブランドも、活動によってどんどん見え方が変わっていくものだからである。社外であれば、より高い価値のものにシェアを奪われるだろうし、社内であれば、職責への姿勢を問われることになるだろう。

広報は、これらを踏まえた上で社内外をコントロールしなければいけない、難しくもおもしろい仕事だ。社外の目の厳しさと、社内の不条理さと無理解に挟まれて大変だろうが、「お墨付き」を味方につければ、きっと広報活動がやりやすくなるはずである。

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