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【No.8 長い目の物差し。】

突然ですが、皆さんは時間軸について考えたことがありますか?
最近、中島に来てから強く感じることに『時間』の捉え方があります。今回は、かねてから記事にしたいと思っていたテーマである、私なりの時間感覚「長い目の物差し」の話をお伝えします。今、時間に追われている人にこそ是非読んで頂きたいです。ぜひ一読してみて下さい😎

1. 東京での生活=自分の人生が基準

スクランブル

平日は電車に乗って職場や学校へ。社会人であれば朝のメールチェックから一日が始まり、学生であれば夜勤バイトで終わるのでしょうか?私も東京で小学校〜大学まで過ごし、時間に追われるのが当たり前の人生でした。

東京で過ごしていると、自分の人生が基準であり、どんなに頑張ってもそれが精一杯の物差しになりがちです。自分自身の過去を振り返ってもそうでした。決まった時に、決まったことをするように、大学受験で受験をして、就職活動時期に就活をする。会社に入ったら、会社でのキャリアを積む。

しかし、現代人は、社会人である前に日本人であり、人間なんですよね。それを東京の外に出て少しばかりか気が付いたような気がします。

2. 地方での生活=歴史の中に、自分の人生あり。

地方に来ると感じたのが、「自分」がちっぽけであること。陳腐な言葉ですが、自分の人生なんて、長い歴史に比べるともっともーっと小さいし、その一片でしかないんです。

まず中島に来て古民家に入った時に感じました。そこにあったのはこれまで住んでいた人の写真や、生活感が滲み出るような畳の擦り減り。以前住んでいた人の歴史や文化があり、それらを私は受け継いでいるのだと感じます。

又、みかん畑も同じ。その農家さんの先祖が一生懸命に山を切り開いて作ったみかん畑を、災害や害獣などあらゆる困難を乗り越えて、今に引き継いでいます。畑によっては新しい移住者が受け継ぎ、時には新しい苗に植え替えたり。そして後継者のいない畑は雑木林と化していきます。

古民家の網戸を張り替えた時の様子↑
昔、中島の人が山を切り開いて作った数多くのみかん畑↑

これは、もちろん中島でなくとも、例えば京都にある何百年以上も前にできた建物や街並みを見て感じることと同じでしょう。自分はその長い長い歴史のひとつに存在するものでしかない。忙しなく生きる現代人も、現代人である前に、日本人というルーツがあり、そもそもは過去の人類が紡いできた人間の中の一人であるのです。

3. 過去、現在、将来に、『私は何が残せるのか?』

そんなことを考えてみると、急に悲しくなりませんか?笑
100年後の将来に、自分の存在を覚えている人なんているのかと。少なくとも私は、100年前の人々一人ひとりがどう生きていたか知りません。

どんなに一生懸命に生きても100年後の人からすれば、過去の数多くいた人間の一人でしかないんです。そんなことなら、忙しなく自分の人生だけの尺度で人生を終えるのでなく、より「長い目の物差し」を持って、少しでも自分が生きた証を残したいと、私は思います。

では、どう残すのか。それはまだまだ分かっていませんが、こうして自分の想いをnoteに綴っているのも少しは何か残せているのではないかと、そう信じている今日この頃です。笑

皆さんも「長い目の物差し」、ぜひ使ってみて下さいね!
ではまた次回お会いしましょう🍊

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