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背中が痛いだけ
お金がない時に限って大型家電が壊れたりする。魔女っ子の思春期かよ。この世の決まりはいつも人の神経を削るよう突然襲ってくるのだ。
現在はここで書いた記事に皆さんから「ええやん」と投げつけていただいた500円を拾うアルバイトで生計を立てている。完全に歩合という給与形態の中、散々っぱら言われてきた“体が資本”が身に沁みて分かる年齢になってきた。話は逸れるが“体がシフォン”というショートケーキの化け物を毎度想像しています。
3日前、起きるとどうも痛みが走る。寝違えたような疼痛が首ではなく右側の肩甲骨に来る。どんな寝相でこうなったかは分からないがどんどん痛い。
その日はサムネイルまで先に作った肝入りの新作エッセイ(愚痴)を書くつもりでいた。というか書かなければ生活が出来ない。それがどうだ、書こうが書かまいが生活なんて出来そうにないほど痛い。ずんずん痛い。
「まぁでも、明日には治るでしょ」とどこか楽観的に考えてしまうのが20代を引きずったナメた30代の悪いところだ。その次の日にはどんどん、ずんずん痛かった肩甲骨はずんどこ痛くなってきた。
オノマトペは軽快な時ほど怖い。
「肩甲骨 右 痛い」で調べると内臓疾患の疑いとか出てくる始末に怯え近所の地図を広げる。
「整骨院」「整体」などで検索をかけてみるとGoogleマップは繁華街の大島てるばりに赤くなる。だがその良し悪しが素人には判断がつかない。以前なら一度行ってみてハズレを引いても少々諦めがついた話が今はそうはいかない。限られた予算で確実に治さなければならない。
口コミを見ているとピンと来る整骨院がある。
特定班が怖いので名は伏せるがありきたりな店舗名は実直さを表すようでピンと来た。家からも5分とかからない。1000件近い投稿は⭐︎5がほとんどで、最も悪いもので⭐︎3。これはアツい。
予約の電話を入れるとハキハキとした女性の受付の方がさささと1時間45分後の来院を提案してきた。15分刻みというところが繁盛していることを暗に匂わせる。僕は身支度もそこそこにスキップで向かった。めっちゃ痛い。
外から見て分かるガラス張りの中はご年配の方から若い人まで大勢が横たわっている。
自動ドアを開けた途端、店内の10名近い精鋭が大声で出迎えてくれた。
途端に僕は不安になった。
居酒屋でも何でもそうだが、僕は元気の押し売りをする店が一等苦手だ。アットホームな雰囲気は求人広告の中だけで済ませてほしい。どうも店員さんが元気であるほど落ち着かない性分なのだ。
「予約をした…」と伝えた途端に「野村様、ありがとうございまーーーす!!!!!」と言われ僕は思わず麺の硬さを伝えそうになる。
問診票だとかを渡されて書いている最中、対岸の壁には大勢の有名人であろうサインと写真の額縁が見える。
批判するつもりは一切ないが、SNSのプロフィール欄にやたらめったら過去の実績を書いている人ほど信用できないアレに似た気持ちが僕を襲う。
受付のお天気キャスターのようなさわやか肉汁ツーブロックあんちゃんに紙を渡し施術台へ案内される。
担当者の名前はもちろん伏せる。
赤坂(仮名)とさせていただく。
赤坂に言われるまま僕は施術代にまず座らされた。そして説明が始まるかと思えば赤坂は断りもなく僕の隣へ腰掛ける。
いや、何もこれは立ったままいろという訳ではない。
近い。夜行バスの距離で座る赤坂。そしてコロナ対策で着用しているマスク越しでも分かるぐらい口が臭い。胃が空っぽの臭いだ。ちゃんと昼食えよ赤坂。
ここからはもう本当に主観で申し訳ないのだが、赤坂は男性にしては少し声が高い。加えて僕の苦手な「関西人のくせに説明や敬語など丁寧な口調になると何故か標準語が混じる」人だ。僕が仕事で出会うこの手の人にロクな奴がいなかっただけで赤坂は何も悪くない。ただイライラさせる口調と口臭を僕の右頬に放っているだけだ。
一枚一枚が几帳面にラミネートされた長編紙芝居ぐらい厚みのあるフリップ片手に説明が始まる。
申し訳ない。僕の意地はとんでもなく悪い。
図入りの分かりやすいものを赤坂はなぞって読み上げていく。書いていることを、読むのだ。
赤坂は僕を相当なアホと踏んだか、書かれていることを重複してでも口頭で言えばこの整骨院の良さが伝わると本気で信じているアホの赤坂。
どちらだ。いやこれは僕が悪い。台本を手渡して説明する作家やディレクターが書かれたそのままを読み上げた時に「あ、こいつ」というあのダルさと赤坂を混同してはいけない。
勝手にイライラが募る。周りを見渡しても赤坂のようにべらべら喋り続けている整体師などおらず、皆静かに寝そべって背中を揉んでもらっている。
そこでようやくうつ伏せになるよう言われた。顔を埋める穴には紙が敷いてあって、衛生的であると同時に紙代200円を後で支払うことを伝えられる。鬱伏せ。
まずはゆっくりと患部を押す。それなりに痛い。
「従来の施術ではこのぐらいの強さです。これでは根本的な治療にはなりません。当院はこうです」と言いながら赤坂の親指は僕の肩甲骨を通り越して床に着きそうだ。
「どうです、痛いでしょう」と得意げな赤坂。
ここで今までが僕の勘違いや考えすぎでなく、赤坂が気の触れた整体師であることが確定した。
だがもう遅い。街へと戻る唯一の桟橋は不自然に崩落し、電話線は何者かに切られて外部とは連絡が取れず、ペンションのオーナーである赤坂はまだ図にあった話を繰り返している。聞いたって。
起きてくださいと言われた。ものの10分で指圧は終わりまた座らされる。赤坂はまた説明を始め、その頃には背中が痛すぎて話が入ってこない。
しばらくそんなことが続いていると、今度は何やら赤い枕を持ち出してきた。おしぼりなんかを入れておくような機械から取り出されたそれを僕の膝の上にぽんと置く。
「どうです、あったかいでしょう」
ヤケドしそうなぐらい熱い。何やねんこの枕。
中にトルマリンだかホルマリン漬けだか知らんが大量の石が詰められたこの枕はとにかく熱くて重い。何ここ、○○整骨院賽の河原店?苦行?
赤坂の説明が止まらない。今すぐ返したいのに枕の説明は二行目に差し掛かったところでまだまだ続く。僕は説明を遮るように「すごいや」と言って赤坂の膝に枕を強く押し当てた。
「もういいんですか?」と聞くが、お前の説明だとこれは腰に当てるものなんだろう。何で膝に置いたんや。
「次回の施術から使用しますね」
そう言って赤坂はまた赤い枕を釜へと戻した。
ほな今の何やってん。ただ足焼かれた5分。
へとへとになった頃、赤坂は口調を早めた。お年寄りなら聞きそびれてしまいそうな速さで金額の説明をする。
保険診療なので診察自体は1500円です。
それ以外は自己負担となりまして、○○は別途2700円を頂戴します。それとお顔周りの紙代ですね。
それから今日は自社開発のマシン「ビッグ・マック(仮名)」を使用させていただきます。
こちらは本体価格50万円ですが、月額7万円のお支払いで無制限にお使いいただけます。毎日通っていただきますと一ヶ月で12万円以上のお得になります。5万円のお支払いで8万円以上のお得、2万5千円のお支払いで1万円以上のお得となります。
また回数券もございまして、こちら初回の診療でまとめて買っていただくのが最もお得ですが月の途中ということもあり今回は特別に日割り計算をいたします。ですので今日のお支払いでしたら2200円で結構です。ここまでで何かご不明な点はございますか?
全部や。
ずっと一人で何喋ってんねん。
ねずみ講にハマった高校の同級生の説明でももう少し分かりやすかったぞ。あいつ俺にも緊張してたけどあの水は売れたのか。
赤坂はアホなので、静かに聞いてやっている僕をカモだと思ったのかまだ喋っている。もう僕には赤坂がスローに見える。
「いやー、施術が気持ちよくて眠くなってきたせいか頭が…ハハハ」
僕はなんて大人なんだろう。
それなのに赤坂は「この機会を逃すんですか?」と高圧的だ。枕出せ、顔当てたるから。
ではせめてと良いプラスチック製の大掛かりなケースを取り出す。パカっと開くとそこには初代ゲームボーイを黒く塗りつぶしたような筐体がある。大きく「ビッグ・マック(仮名)」と書かれた機械から伸びた線を僕の背中に取り付けて、また嬉々として説明を続ける。
「目盛りがありまして。これを上げていくと…数字が増えます。これがパワーですね。二つ種類がありまして、それぞれを設定できるんです。画期的でしょう!先ほどの僕の指圧がそうですね…15、といったところでしょうか。結構来るでしょ?ウチに通うお爺さんなんてこのビッグ・マックの良さにハマっちゃって、いつも目盛りを20にしてるんですよ!おっかしいですよね!ちなみにマックス50までいけます!」
僕は赤坂からビッグ・マックを奪い取って目盛りを50にした。大仰な説明をしているだけでこれは単なる低周波治療器だ。使用した時点で金が発生する説明を済まされていたので自暴自棄になった僕の体は大きく揺れた。
赤坂は別の施術師を呼び僕からビッグ・マックを取り上げようとする。それを制止し僕は大声で笑い続けた。
30分のモードを10分で止められた。
言うことが無くなった赤坂は「素晴らしいでしょう」とまだセールスを止めようとしない。そして定期支払いの説明をまた繰り返す。
僕はアホ相手にこれ以上の時間を割きたくなかった。食い下がる赤坂へ、一世一代の芝居をして見せた。
「いやぁ、大きい買い物なんで。勝手に決めたら(カミさんが)うるさいんで、いっぺん帰って聞きまっさ」
仮にも朝ドラに出演した男が、こんな大阪の下町の詐欺整骨院で披露していいレベルではない。そこには確かに10年は妻を連れ添った男が背中にビッグ・マックを繋がれたまま項垂れていた。
赤坂は「契約しないで帰って、こんなお得なのにって怒られた旦那さんもいますよ」と続けた。もうこいつに何をしても罪に問われない自信があった。
僕は受付で内訳の分からない4400円の支払いを済ませ店を出た。
外はすっかり西陽が差して、今から入ろうとするお婆さんに「ここ、あきませんよ」とだけ伝えた。
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