8月6日に生んで。
79年前の今日、広島に原爆が落とされた。
大阪は(私が住んでいた地域?は)平和学習と称して真夏のこの日小学校へ登校した。
修学旅行は小学校は広島、中学校は長崎で、夏の記憶といえば原爆と結びついている。子供の頃に刷り込まれた記憶というのは消えることがない。だからこそ、小学校での平和学習なのかも。
そんな原爆の日に私は息子を生んだ。
8月1日の夜に破水して生まれるまで、一週間近く陣痛に耐えながら過ごした。
最後は陣痛促進剤を服用しての強制?出産になったのだが、その朝看護師がつけてくれたテレビでは広島の式典の模様が放送されていた。
お腹が割れそうに痛くてひいひい唸っていた私の目に慰霊碑の炎が高く揺れているのが見えた。
『55年前の今日、原爆が広島に落とされたんだなぁ』とぼんやり思いながら、一刻も早くこの激痛が終わってくれとまさに祈っていた。
子供の頃は夏に登校した時『あぁ、もう広島に原爆が落とされてから35年も経ったんだー。随分昔の話だな』などと思っていたが、息子を産むことになったその日は55年が経過していた。
そして今日はもう79年があの日から過ぎたことになる。
それでも毎年毎年慰霊碑の炎が消えることなく燃え続けている。あの日被爆した方たちの苦しみを思うとこの歳になった今の方が辛くなったりする。
子供の頃の記憶は鮮烈ではあるが、記憶が薄れたりぼやけたりする。でも私が息子を生んだのが8月6日なのは何か意味があるのかもしれない。
息子を生んだ朝に見た慰霊碑の炎が毎年チラチラ脳裏に浮かぶ。