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教授と馬之助

大学時代、坂本龍一という名前の同級生がいました。

あの「世界のサカモト」と同姓同名です。

聞けば、「父親がYMOのめちゃくちゃ大ファンで、親戚の反対を押し切って、名付けられた」との事でした。

坂本君のあだ名は、本家同様の「教授」。

聞けば、「小・中・高と、ずっとあだ名は『教授』だった」との事でした。

中2の時、1度、千葉から福岡に引っ越したのですが、やはり転校初日から、「教授」と呼ばれ、坂本君は「僕は一生、『教授』から逃れられることはできないな」と覚悟をきめたとの事でした。

そんな坂本君は、学校の先生になるため、教職課程を取っていました。

坂本龍一という名前は、やはりインパクト絶大で、どの授業に出ても、ほとんどの先生が、坂本君にこんな冗談を言ったそうです。

「君は、もう『教授』なんやから、わざわざ教員免許なんか、取らんでもええやないか」

坂本君は、とても温厚なヤツで、こんなつまらない冗談にも「いやいや。教授をクビになったときのために、取っておくんですよ~」と、笑顔で切り返していたそうです。

さて、ここから、noteのお題「髪を染めた日」について、書きたいと思います。

大学2年生のある日のことです。

坂本君がとつぜん、髪をブラウンに染めて、学校にやってきたのです。

それがめちゃくちゃ似合っていて、教室中、絶賛の嵐になりました。

「教授、かっこええやんけ」
「インテリに拍車かかるわ~」云々。

元々、坂本君は男前だったのですが、ますますグレードアップされた感じで、僕も思わずボーっと見とれてしまいました。

その日の授業。

僕は坂本君の後ろに常に座って、じーっと穴があくほど、坂本君の頭をみつめていました。

そして、みつめているうちに、自分も髪を無性に染めたくなり、坂本君に「教授。それ、どこでやったん?」と聞きました。

1週間後。坂本君から教えてもらった美容院に行きました。

坂本君と同じ色に染めることも考えたのですが、僕は当時、ロンブーの亮さんのビジュアルにあこがれていて、思い切って金髪にすることにしました。

美容師さんの腕はさすがで、出来上がった際、僕は鏡を見て、思わず「おおっ」と感嘆の声をあげてしまいました。

翌日。僕はちょっとドキドキしながら、教室に入りました。

すると、やはり、みんなが「おおっ」と驚きの声をあげました。

僕は「えへへ」と照れ笑いしました。

しかし、ここで思わぬハプニングが起きました。

吉田という同級生イチ陽気なヤツが、僕を指さし、こう叫んだのです。

「なんやお前、上田馬之助やんけ!」

みんなが一斉にドッと笑いました。

上田馬之助というのは、プロレスのオールドファンならわかると思いますが、トレードマークが金髪で、昭和時代にマット界を一世風靡した悪役レスラーです。

竹刀で相手をボコるわ、レフリーの見えないところで、凶器を使うわで、それはそれは、残虐極まりないファイトで、観客をおおいに湧かせたものです。

僕は「誰が馬之助や! あんな暴れ馬といっしょにするな!」と、吉田に咄嗟にツッこみました。

しかし、吉田の影響力はすさまじく、僕はその日から、みんなに「馬之助」と呼ばれるようになったのです。

最初はめちゃくちゃイヤだったのですが、慣れというものは恐ろしく、1週間後には、「おい、馬之助」と呼ばれ、「なに?」と平気で返事をする僕がいました。

大学3年生になり、就活が始まると、僕は元の黒髪に戻しました。

しかし、呼び名までは、元に戻らず、僕は黒髪でもあいかわらず「馬之助」と、呼ばれ続けました。

卒業して、もう十年以上たちますが、いまだに大学時代の友人は僕のことを「馬之助」と呼びます。

僕はまだ未婚で、子供もいませんが、将来、家庭を持つことがあり、もし子供に「おとうさん、髪を染めていい?」と聞かれたら、こう忠告したいと思います。

「おまえのまわりに吉田はいないか? もしいたら、デジタルタトゥー以上に消えないあだ名をつけられるから、気をつけろよ」と。


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