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長新太について読んでみる④ 対談―もっと個性を、ユーモアを 『海のビー玉』平凡社 2001年(初出『児童文学一九七七』漫画家対談 聖母女学院短期大学児童教育科 1977年11月)
長新太さんのインタビューや対談、特集記事など、長新太さんついて書かれたものを少しずつ読んでいます。
第4回目は、対談ーもっと個性を、ユーモアを
長新太 相方・井上洋介(漫画家) 司会・今江祥智(童話作家) です。
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対談は、『海のビー玉』(平凡社・2001年)に収録されています。初出は『児童文学一九七七』漫画家対談(聖母女学院短期大学児童教育科・1977年11月)。初出当時、長さんは50歳、井上さんは46歳、今江さんは45歳です。
ナンセンス漫画
長 今は漫画っていうと、いわゆる劇画と少女漫画と少年チャンピオンとか、赤塚不二夫さんのものとか限られてるもんね。いわゆるナンセンスっていうか、便宜上言っているタブロー漫画とか。そのタブロー漫画っていう言葉、僕好きじゃないんですけどね。
井上 俺も嫌いなんだ。
長 一時、造形漫画なんていう言葉が出回っていて抵抗があってね。
井上 やっぱりナンセンス漫画っていうのが一番ぴったりするね。
長 そうそう。しかし漫画っていうと、そういう形で範囲ってものが決められてしまっているでしょ、最近はね。だから漫画集団の大勢の人たちっていうのはかすんでしまっているわけ。
井上 そうねえ。
長 いわゆる家庭漫画的なものとか、ね。割合曖昧な感じの強烈なエログロなんてなくて「なんとかさん」「なんとかさん」てあったでしょ。
井上 漫画集団が完成させた、集団漫画はほとんど壊滅状態だ。昭和初期に横山隆一、近藤日出造、杉浦幸雄等によって、新漫画派集団がつくられ、モダンな漫画の方法論が打出され、戦争を通過して戦後に流れて、確たる位置を持続していたのが、それもいささかマンネリ化しつつある頃、漫画の表現領域を拡げるという意図で『がんま』が出されたんだと思う。もともと、タブロー漫画なんていうのはタイトル通り変種に過ぎない。俗流ジャーナリズムに広がって行くことには当然ならなかったね。
長 ただそれだけに、僕とか、井上洋介とか、久里洋二とか、そういう分野っていうのが、強烈に出てきちゃったような感じがするんだね、かえってね。どこか片隅に追いやられた感じで。そんな気がするね。雲散霧消したというんじゃなくて。もちろん主流には当然なりえないってことは分かっているし。
井上 もともと主流にはなりえない、ね。
長 主流っていうと、何か政治の保守政党みたいな感じがするけれども、だいたい自分でも性格的にそういうのイヤだからさあ。
井上 だいたい主流っていうのは、そういうもんですねえ。
長 主流っていうのは、やはりテレビの視聴率と同じで、最大公約数的に大勢の人を納得させるものがなくちゃいけないから、強烈な個性っていうのがどうしても希薄になるでしょ。だから漫画っていうのは、昔からよく先輩が「大衆が相手のものであって、大衆が理解できなければ意味がない」っていうことを大義名分で必ず言うわけよ。「おまえの描いているのはダメだ」っていうことを言われたりなんかしたことがある?
井上 散々言われたね。そりゃあ、ねえ。もう耳にタコで、全然聞きゃあしないけども(笑)。
長 そういうこと言う人自体は、大衆を非常に愚弄しているっていうか、蔑視してるわけ。大衆だっていろいろいるんだから。そりゃあもうほんと、ナンセンスな感じがしましたねえ。だから、自分の世界っていうのは、もちろん、本来持っているけれども、そういうマスコミのいろいろな批判とか、同業者からの批判とか、そういうのがかえって幸いして、だんだんさっき言った逆の見方をすると追いつめられた感じがして、開き直ったというかな、そういうものはありますね。それで、自分の世界の確固たるものが、両方からできてしまったっていう感じ。だからやりよくなったっていう気持ですよね。
井上 そうだね。
後略
初出『児童文学一九七七』(聖母女学院短期大学児童教育科・1977年11月)
長さん、井上さん共にご自分のスタイル・考えを大切にしてあったことが伝わってきます。この対談から約50年が経った今、お二人が当時と同じ年齢で活躍していらっしゃったら、どのような対談になっているのかなと想像してしまいます。
マンガの発想
司会 この頃は、いわゆる漫画を依頼に来ることは少ないわけですか?
井上 少ないですよ。ま、長さんはこのところ描いてるね。
長 そうね。それはねえ、自分の方から何かそういう方向に持って行くっていうふうにしてるわけです。
井上 そうだろねえ。そういうその姿勢を感じるもん。
長 すべて漫画の発想でやろうっていうふうにしている感じがかなり強いわけ。もちろんそうでない場合もありますけれども。ただ、いろいろやりたいわけです。なんか、枠はめられるのが、非常に生理的にも嫌悪感を持っているからね、昔から。
井上 ああ、長さんもそうか……。なるほどね。
長 だから、さっき言ったある先輩なんてのは、「おまえは漫画描かないでイラストばっかり描いている。イラストレーターじゃないか」そう批判してた人もいたけども。僕は漫画の発想で表現するものならばなんでもいいって、いつも言ってるんだけど。極端にいえば、音楽の才能が僕にあれば、作曲だって僕はいいと思うんだ。池田満寿夫じゃないけれども、文章の才能があれば文章でもいいと思うの。漫画の発想が基にあれば。
井上 俺の場合には漫画の発想が基になくてもいいと思うね。要するに俺ならば。
長 そうです。うん。極限状態の意味はそうなるな。
司会 俺は漫画家だから俺の仕事は全部漫画だ、そういうことですねえ。そういう意識は皆、普通あんまりないみたいですねえ。子どもの本の絵を描いたらイラストレーターちゅうふうにすぐ分類しちゃうから。でも、さし絵より絵本の方が面白いですか? 仕事としたら。
井上 俺はね、なんでも同じぐらいつまんないの。なんでも同じぐらいにさ。もっとも、仕事だもん、そりゃあ、描いている時は、どんなものでも一生懸命仕事しますよ。描く以上は、どんなものでも一生懸命だけども。よく考えてみると、みんな実は面白くないんじゃないかっていう気がしてね。中途半端な形でね。何が面白いかっていうと、やっぱりそれもきっとないんでしょうね。同じぐらいつまらないと思いながら一生懸命やっているんでしょうね。
司会 醒めているということですか?
井上 いやあー、醒めているのかボーッとしてんのか。
司会 長さんも醒めてはるからなあ(笑)。
井上 長さんはねえ。
司会 醒めた人が二人で喋るとどうも……(笑)。こちらも醒めちゃいそう……。
長 僕は醒めているって意識は全然ないけれどね。ただ、なんか今やっている以外に、自分のやりたいものがあるんじゃないかなあっていつも思うわけよ。あっ、これが自分の坐るところだったなあってふうな場所みたいなものが、きっとあるんじゃないかなあって気がしますね。まだ、何かこれからそういうものが見つかるような気がするわけですよ。それは幻で、そういうものをつかもうとして終わるのかも分からんけれどね。何かあるような気がし
ますね。
でも僕は、最近まで仕事をしていて苦痛があったんです。漫画にしても、絵本にしても、全部の仕事に。それがどういうわけか、ここんとこでフッと吹っ切れた気がして、自分でも分かんないんだけど。とても楽しいのね、仕事が。なにか変に緊張の度合いっていうのかなあ、それが高かったのね、最近まで。
井上 解き放たれたわけね。
長 うん。開き直りみたいなものも多少あるんだけれど。
井上 でも外側から見てると、昔から実に自由に楽にやってる感じでね。
初出『児童文学一九七七』(聖母女学院短期大学児童教育科・1977年11月)
対談のこの部分『漫画の発想』の後半を読んで、長さんの奥様のことばを思い出しました。それは、長さんが亡くなられた翌年(2006年)に開催された『ありがとう!チョーさん 長新太展ナノヨ』の図録第Ⅳ章『人間・長新太』の1ページ目にあります。
前略
常に社会に関心を持ち、強い批判精神を持って時代を見据えた。人間観察も鋭く、根底にシニカルな目を持ちながらも、それが刃となって人に向かうことはなかったと聞く。長年の友、太田大八は「彼のとぼけた顔の奥に実は貪欲に周辺を観察している鷹の目を秘めていることも知っている」と、語る。むしろ、その鋭さは、自らに向けられることが多かった。若き日、そんな夫を妻は、「私からみると自分をいじめているようにさえ見える」と評した。
後略
第Ⅳ章『人間・長新太』
漫画家の絵本
司会 アンゲラーみたいな仕事はどうですか? あれも春画集があったり、それからもちろん絵本も反戦ポスターもおなじように描いてますからねえ。
井上 アンゲラー、アンゲラーって一時騒いでいたよねえ。
長 アンゲラーの場合は、ああやって自由にいろいろ仕事するっていうことは好きであって、いいと思うけれども、作品自体は『パーティー』みたいなものが好きですね。絵本よりは。
司会 絵本はいい意味の遊びでやってるみたいなとこもありますね。そやから版を重ねたら急に絵を一枚描き変えてしまったりしはる。その辺はこだわってないですね。レオー二みたいな、ああいう生真面目な姿勢でなくって、どうもこの絵気に入らんからもう一遍描き直そうか、という形で描き変えたりするみたい。
長 しかし、そういう形でいいものができるっていうのが理想であって、一番いいわけよ。緊張して何か深刻に考える必要ないんです。仕事だからといって。リラックスしていいものができるのが一番いいわけです。ま、それはなかなかできないことであるけれども。
司会 長さんが緊張してはるやなんてね、ほんまやろか。まあチョウっていう名前が緊チョウしてるン、やから。でもまあそんなこと考えられないですね。
井上 うん。考えられない。最近やっと解き放たれたなんて思えない。
司会 いつものびのびしてはる感じですのにね。
長 僕は、そういうところがあるんですね。これは生理的なものだとか年代的なものとかね(笑)。
井上 やっぱり自在でなきゃあいけないんですね、物事に。
司会 それにしても二人ともずいぶん好き勝手に仕事をして来はったでしょう?
井上 外側から見るとそんな印象らしいねえ。
司会 仕事の場としては、子どもの本の仕事が多くっても、その中で相当好き勝手なことして来はったと思うけどなあ。他の人らはもっと上手に売ってしまっていますよね、自分を。
井上 ところがねえ。決して勝手に描いて来たわけじゃないのね。俺なんか精一杯合わせているわけね、ところが、俺は一生懸命合わせてんだけど外側から見てると、ちっとも合わせているっていうように見えないらしいんだけども、実はもう大変に合わせてんですよ。
司会 だから『ちょんまげ手まり歌』(一九六八年、理論社刊)の挿絵のときの井上さんと、『くまの子ウーフ』(一九六九年、ポプラ社刊)のときとは全然違うもんね。
井上 違うもん。
司会 それにしても、あんなふうな井上さんのウーフができ上ってしまったあと、いわゆる童画の人がウーフを描くとこれまた全然違う。ほくン中にはやっぱり井上さんのウーフが定着してしまっているわけ。それは神沢(利子)さんの中にあるドロドロしたもんが、やっぱし絵にも出ているわけよね。それを洋介さんがパッとつかまえたわけだし。ただ、お母さん方から見たらやっぱり童画風な方が安心できるみたいですけどね。
ところで、あれは十五年ほど前ですかね、『がんま』を出したのは?
長 もう、そうでしょう。
司会 結局『がんま』は自由にやったはったわけ。ある意味では勝手に。集まって勝手に好きなものを好きなように描いてはったみたいね。
井上 そうですね。
司会 その姿勢はお二人とも今でもずっとあるみたいですけどねえ。子どもの本の仕事でもねえ。
井上 そうですか。
司会 でも、もっと思い切ったことをしはるのはこれからですねえ。
井上 これからです。
司会 だから、この間の『ちょうつがいの絵本』(一九七六年、フレーベル館刊)みたいなものをもっと作りはったらいいですねえ。
井上 そうですねえ。あれはやっぱり漫画の連続ですよ。
長 そうそう。
司会 漫画の発想がちゃんと生かされてるわけで……。
長 あれは、傑作だと思いますねえ。ああいうものをどんどん出して来たらいいと思うなあ。これから。
司会 あれとか『みんなでつくっちゃった』(一九七四年、大日本図書刊)もそうやけど、漫画家の発想でなかったら考えられへんていうものやなあ。『もじゃもじゃしたものなーに?』(一九七五年、文研出版刊)でもそうですよね。しかし日本では漫画っていうものの解釈が随分狭いですものね。
井上 狭いですよ。またすぐ枠を決めたがるのね。
後略
初出『児童文学一九七七』(聖母女学院短期大学児童教育科・1977年11月)
長さんが、『がんばれさるのさらんくん』(福音館書店・1958年)で絵本デビューされてから約20年後の対談。
「ここんとこでフッと吹っ切れた気がして」という長さんのおことばが印象的でした。