自称本好きだった私が本を読めなくなった訳
「限りある時間の使い方」
オリバー・バークマンを読んで
読書感想に交えてタイトルにある自分の話を。
幼少〜高校生の頃の私のアイデンティティのタグの一つに「本好き」というものがあった。
小学校も図書委員会に所属して当番中は本好きの同級生と借りた本の数を競い、
中学も足繁く本屋と図書館に通い、
高校もまた図書委員会に入って小説・新書を読み漁っていた。
ちなみに漫画も読書にカウントすると相当量インプットに時間を割いていたことになる。
小学校は石崎洋司さん、はやみねかおるさん
中学は有川浩さん、坂木司さん
高校は原田マハさん、朝井リョウさん、中山七里さん、平野啓一郎さん...
と言った具合にお気に入り作家のスタメンがいたのだ。
(まあ新書も諸々読むのだが、統一感があるように小説家を並べている。)
本屋や図書館に行って、ずらっと並ぶタイトルだけでも豊富なコンテンツ、未知のジャンルへの好奇心は計り知れない。
選びきれない、楽しすぎる...!
と本関連の施設に行けば、一冊持って帰るには物足りず知識欲は収まらなかった。
そしていざ本を持ち帰り良書か悪書かは開いてみないと分からないものだけど、1冊の内容の奥行きに心は溶け込んでいったのだ。
それなのに社会人になった今は一体全体どうしたことやら...
1年に5冊読めば良い方である。
ろくに本好きとは自負できない体たらくだ。
果たして私はいつから本を読まなくなったのか?
本を読まなくなる原因
私は今年で25なのだが、2013年から2016年にかけての高校3年間は
スマホの所持が禁止の環境だった。
厳密にいえばスマホやPCを「所有」はしているのだが、
人前でスマホをいじると没収される寮生活だったのだ。
先生のいない休みのシーズンしか基本デジタルデバイスは思う存分
いじれない。
24時間同級生や先輩後輩と話せる機会があるので
まったく使う必要がなかったのだ。
高校卒業後、スマホ禁止令から解き放たれた私の目の前に広がる光景は、
新しい出会いの場での即LINE交換とインスタ交換、好きなYoutuberの話で盛り上がってる人、電車でネトフリ見てる人、Apple Watchをピッとして改札通ってる人の数々。
2017年。
決済、コミュニケーション、撮影、鑑賞....
皆あらゆるアナログ活動の代行手段はスマホに完全移行済みだった。
別に高校入学当初からスマホはあったので、デジタルオンチではなかったのだが、
3年も日常的にいじってないと浦島太郎にもなる。
そして受験が終わった解放感と3年分の抑制がブースターとなり、
多分他の人が2014年くらいにはすっかり慣れていた分を取り戻すように
私はスマホの便利さにハマったのだ。
私が読書に費やしていた時間は、インスタ、Youtube、Webコラムを読む、ネットニュースを読む、Amazonで買い物をする...など
スマホで出来るあらゆるアクティビティの時間に充てられた。
これはいけない、と思いつつ本は高いし場所を取るから電子書籍を...と
興味を持って買った本のはずなのに完読できない。
大学生の時に買ったままの本を放置することが増えて、
あんなに暇だった大学生活を終え週5ワーカーになり本を読む機会は激減した。
情報過多の中の効率性
スマホ中心の生活になってから、
私は待つことや何かに時間をかけることが
ただでさえ苦手な性格に拍車がかかった気がする。
ブラウザの読み込みが遅いとイライラするし、
買い物のレジ列に並んでる時に前のお年寄りと店員があたふたしているとAmazonフレッシュを知っている身からするとまだ終わらないの?と思ってしまう。
自分の時間を奪われているかのような気持ちになるのだ。
加えてオンとオフのはっきりした日々を送るうちに、
短縮できるものは短縮して効率的に時間を充実させないと
不安やストレスを感じるになるようになった。
これは、確実に以前よりせっかちになっている。
詰まるところ集中力の低下は、本を1冊読み通す事ですら不可能にしていた。
ここまで自分の話が長かったので、
「限りある時間の使い方」の内容に触れ始める。
バークマンが言う通り、
生活が便利になればなるほど私たちは幸せになるのではなく
余った時間を別の事で埋めようとするようになった。
自分じゃ分からない事は本屋や図書館に行かなくてもすぐ検索できるし、
料理の作業もYouTubeで時間を潰せるし、
お風呂の時間もケータイを持ち込んで動画を見れる。
仕事でもマルチタスクで物事を進行するのを良しとするし、限られた営業時間の中で効率性を賛美している。
世の中にはマルチタスク処理のためのライフハック本も広告や店頭で強調されているし、
時間を効率的に使えない人はできない奴みたいな烙印を押される気持ちになって疲れていた。
一つ一つの行動が蔑ろになっていた事に気づかずに。
非効率は悪じゃない
モノタスクでしか向き合えない本は
時間の使い方として非効率そのものだった。
でもこの本を読んでみて、
自分の脳が自動的にそう判断するようになっていた事実に対して、なんだか損をしている気分になった。
自分が最適と感じる情報にしか手を出せないって物寂しいというか一才の無駄を禁ずるというか。
そこに人間らしさの排除を感じる虚しさがある。
こういう寂しさ虚しさを知ってしまった以上は、非効率さをあえて認識しつつ本を手に取っていこうと思う。
ちなみにこの本については、
電子書籍ではなく久しぶりに紙の本で買った。
やはり紙媒体は、ページの連続性があってその時間1点に集中できる。
場所を取るのと印字コスト以外はとてもいい。
(別に電子書籍下げをしたい訳ではなく、
漫画だけは巻数が多すぎると部屋が手狭になるので
電子書籍か漫喫に行っちゃう派である。
あと絵がメインなので、デジタルでも文字よりは頭に情報が入ってきやすい。)
彼との狭い部屋の一角に本棚も買った。
きっと数日も経つともう内容も覚えて
いずれ読まなくなるかもしれないが、思い出して部屋の隅に置いておく価値のある本だと思う。
以上、個人的読書感想文のお時間でした。
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