幼稚園に行きたくない息子
月曜、朝。
幼稚園に行くのを嫌がる息子。
「行きたくない」
シクシク泣いている。
シクシク泣くのだ。涙がこぼれ落ちそうになると拭って。静かに泣く。
その姿があまりに健気で、可愛くて、切なくなる。
*
娘も息子も1歳から保育園に通っている。当時私は、会社員だったので、7:30には保育園に送り届けていた。
子供達が「行きたくない」なんて言おうものなら、「会社遅れる!」と怒っていた。
泣き顔の娘と息子にイライラしながら、自転車のチャイルドシートのベルトを締めていた。
*
今、私は子供達の「行きたくない」に怒ることはない。
私は、自分探しを終え、自分自身の理解を深めていった。そして、物事の捉え方を変えられるようになったことで、子供との接し方も変化していったのだ。
「そんなこと、時間的に余裕があるから出来るんだ。」と言われれば、それも否定しない。でも、思う。以前の私なら、例え時間的に余裕があっても、「行きたくない」と言われれば怒っていたと思うのだ。
以前の私は、子供の姿を自分自身に重ねていた。無意識に。
行きたくないなんて情けない。こんな弱い子だと将来苦労するに違いない。
「私がそうだったから、この子もそうなる。そうあって欲しくない」
だから怒っていた。私を見ているようで、弱さに触れると腹がたったのだ。
私は、自分探しの中で、この自分の思い込みによる子育ての間違った構図に気付いた。
そして、間違ったやり方をしてきたことを、一度子供達に謝った。
「そのままの二人で十分素敵なのに。これまでごめんね。」と。
そして、今。
子供の「行きたくない」には、「行きたくないよね」と言えるようになったのだ。
*
「行きたくないよね」私はそう言って息子の手を握った。
息子は私の手を握り返し、それを自分の頬に寄せながら言った。
「ママとくっついてたい」(涙目)
可愛い。こんな可愛い姿を見る機会があったのに、私は怒っていたのか。大馬鹿野郎だ。
現実問題、幼稚園に行けるか、行けないのかは様子を伺うことにしている。
手を握りしめながら、「着替えようか」っと言ってみた。
こくんと頷く息子。(これは行けそうだなぁ・・)
私は、パジャマを脱がせるためにボタンに手を伸ばし、一つ、二つと外した。
すると、息子が途中で「トイレ」と言って、走り出した。
トイレにしては時間がかかる。
見に行くと、トイレの前でパジャマのボタンをとめ直していた。
(お着替えしたくないのか・・・行けないかな・・)
その時、ハッとした。
ボタン自分でとめてる。。
ボタンを自分でとめることはできなかったのに。息子のハジメてに立ち会う瞬間だ。
その小さい手で不慣れながらもボタンをとめる姿を見守った。
時間がかかっている。
出発時間が迫っている。
それでも、フーフーと息を荒くしながら、ボタンをとめる息子を、心の中で頑張れ頑張れと応援した。
「できた!」息子の誇らしげな顔。
私は、すごいすごいと抱きしめた。
「息子とくっついていたい」私もそう言った。(今日は無理かな・・)
しかし、息子は、スッと私から離れリビングに戻ると、さっき苦労してとめたボタンを自ら外してお着替えをはじめた。
自信に満ちた表情で、あっという間に一人でお支度を全て終え、「ママ、行こう」と、玄関に向かった。
逞しいな。どんどん出来ることが増えて、私から離れていく息子。
子供が立った時、歩いた時 はもちろんのこと、子供のハジメてはどの瞬間も感動する。
出来るようになったら、出来ない時には戻らない。出来ることが積み重なると、出来なかった時がすごく貴重な時間だったなと思う。(かまいたちの09年M-1決勝のトトロネタみたいだな 笑)
言葉少なにバスの待合場まで向かう息子。バスに乗り込み、手を振った。その顔はやはり寂し気で、涙目だった。
**
あっという間に帰宅時間が来た。
どうっだったかな・・・という心配をよそに、幼稚園バスを降りると、興奮気味で絶好調な息子。
小さいなりに、「今日をやりきった」という達成感はあるんだなぁと関心していた。
私は朝の感動のまま息子をぎゅっと抱きしめようとしたのだが、「ぶぶーだめでーす」と拒否された。
そして、
「ママ、リンゴが食べたい。あと、う●こみたいなアイスも。」(チョコレートか、ソフトクリームか迷ったが、後者だった。)
「ママ、見て幼稚園で作ったの。う●こだよ」
口を開けば、う●この話しかしない。
帰宅後お着替えの時、脱ぐ必要のないパンツまで脱ぐ息子。全裸になり、側転やらジャンプやら、とにかく動き回っている。息子のムスコを揺らしては、即自らその揺れてるモノを確認し、ゲラゲラと笑っている。
帰宅後は、う●こに加えてムスコの話も加わった。
私の朝の感動は何だったのだろうか。
朝の健気で、可愛くて、逞しい息子は一体どこへ行ったのだろうか。
全裸で飛びはねる息子を見ながら、
「でも、まぁ、、大きくなったなぁ」と、
呆れながらも成長を感じたのだった。
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