熱海ナンバーワン
動物の医者をしている夫が、ぶりの半身を抱えて帰ってきた。
お魚のブリである。
ギョッとした(魚だけに)。
お魚屋さんを営む飼い主さんが「お年賀です」と、くださったのだそうだ。
漁師町でもない都会(でもない)の病院でもそんなことが起きるのかと驚く。
新鮮でおいしそうな、ぶり。こんな大きな半身はスーパーではお目にかかれない。ありがたい。
しかし、半身ごといただいてもそれを捌いたりしてどうにかするスキルなど我々にはあるはずもなく、どうしたらいいのか検討もつかない。どうやって食べたらよいべか~と、でんと台所に置かれた半身を前に、しばし腕組みして沈黙。
「手術するつもりでいけば解体できるのでは?」
と夫に提案してみたところ、
「魚の手術はしたことないから…」
と返されてしまった。
結局、夫がYouTubeでぶりの解体法を調べて悪戦苦闘。
なんとかお刺身用と切り身用とに分けることができた。大量でした。
というわけで、昨夜は、
・ぶりのお刺身
・豆苗と豚バラのナンプラー炒め
(フライパンで豚バラをカリカリに焼いて、その上に切った豆苗2パックをドサと乗せ、酒を振りかけてざっくざっくと炒め、鶏がらスープの素、ナンプラー、レモン汁をまわしかけるだけ。簡単で美味しいです)
・揚げ出し豆腐
・根菜納豆汁
に、なりました。
ぶりは新鮮でほの甘く、とても美味しかった。
冷凍庫には切り身がまだたくさんあるので、いずれぶりの照り焼きや、レモンバター醤油ソテーなどになることでしょう。ぶり天国。
・・・
舌痛症その後。
お薬によって、舌や上顎の痛みはほぼ完全にと言っていいほど抑えられている。
日々の生活の中で、ごくたまに「舌が痺れてるな」という違和感や、チリチリとした痛みを感じることはあるが、放っておけばおさまるし、気になるときはキシリトールのガムを噛むと気にならなくなる。
(キシリトールガムは常備しています)
発症したのが昨年10月だから、もう3ヶ月になる。
最初は、口の中をバーナーで焼かれているみたいな酷い痛みと、一般的な痛み止めが効かない(痛みから逃れられない)という痛みのシステムに絶望しかけたが、薬でここまで鎮まるとはほんとうにホッとした。
大きなストレスから起こる「舌が痛いよ!(痛くないのに!)」という脳のバグ司令による痛みが舌痛症、なので、脳の騒ぎをおさめる薬を飲んでいるのであるが、薬というのは本当に偉大である。
ただ、舌痛症に伴う軽いうつ症状みたいなのがあって(舌痛症自体が大きなストレスによって引き起こされるため)、たまに淋しく、悲しく、なんだか気持ちが沈む。仕事もできるし、日常生活も家事もできるけれど、なんだか落ち込むときがある。
え、この悲しさはなに?と思う。
漠然とした悲しみ。
その悲しみへのお薬の調整も上品先生にしてもらっていて、少しずつ元気になれるといいなと思っているところ。
無理をしなければ、たぶん、大丈夫。
わたしには昔、わりと重めの鬱の経験がある。
いまから4年前、ちょうどコロナが始まった頃に「MEWDS(多発消失性白点症候群)」という珍しい目の病気になって、右目の視野と視力を大きく欠損した。
それはもう、なんの前兆もなく、ある朝起きたら突然、右目の視野に墨汁をバッと散らしまくったような状態になっていたのだ。ほぼ、黒が散っていて見えないんですね。ちょっと表現が難しいのですけども。
視力も、それまでは矯正(コンタクトレンズ)で1.2まで上げられていたのが、いくら矯正しても0.3しか上がらなくなってしまっていた。
あれこれと検査をして大きな病院の専門のお医者さんに「治療法はない。症状が重いのでどこまで視野や視力が戻るかも分からない」と言われ、もう右目が一生このままなんだと絶望してショックを受け、鬱症状に見舞われたのだ。
ざっくり言うとその時の精神状態は本当にきつくて、いま思い出しても涙が出そうなくらい。つらくてつらくて、つらかった。
その時に出会ったのが上品先生で、いまふたたびお世話になっているというわけなのですが。
その後、目の症状もメンタルも2年ほどかけてゆっくりと回復し、すっかり元気になった。
右目の視力は完全には戻っていない(矯正して0.7くらい)が、視野は回復したし、まったく不便なく生活できている。慣れもあるんでしょうね。
この前ふと、あの頃のお薬手帳をパラパラとめくってみたら、ギョッとするほどの量のお薬が処方されていた。「こんなに!?」と思わず声が出た。相当やばかったんだなと思う。
寛解してもうお薬が必要なくなり、最後の診察のとき、上品先生が「あんなにたくさん薬を飲んでいたところから、よくここまで乗り越えましたよね」としみじみ微笑んで褒めて(?)くれたのを覚えている。
大変だったけど、元気になれた。
いまも、なんで舌痛症なんかになったんだろ…しかもなんか悲しい…くよくよ…、と思うけれど、でもまた元気になれると心の芯では信じている。
人間のからだ(と、たぶん心も)は、みずからの傷をゆっくりと修復し、嵐になった心を凪いだ状態にもどそうという「戻ろうとする力」があると思っている。
もちろん、その限りでないことも人生には起きる。どうにもならないこともあるだろう。
あと、適切に医療の力をお借りする必要もある。
それでも「大丈夫、わたしには修復する力がある」と思おうと思うのだ。思って悪くなることなんてないから、だから、思う。元に戻ることができるし、すべてはきっと良くなるよと。
・・・
引き出しの整理をしていたら見つけた写真。
母方の祖父だ。
祖父はわたしが高校の頃に亡くなったが、「くそ真面目」と顔にも背中にも書いてあるような、アメリカ生まれの帰国子女とは思えぬような真面目な人だった。
兄弟たち(同じく帰国子女)はクレバーなブラックジョークを飛ばす洒脱な人達だったのに、祖父だけはくだらない冗談など言わないほんとうに真面目な人だった。
前後の写真との関連から見るに、これは若い頃に社員旅行で行った熱海での一枚のようである。祖父がくそ真面目な顔で芸者のかつらをかぶらされている。
写真の裏側をめくると、見覚えのある祖母の文字で、
「熱海ナンバーワン!○○(祖父の名前)ネーサンのあで姿!」
と書いてある。
思わずハハハと笑ってしまった。
この、いかにも酒席のノリで「かぶらされました」という状況。写真まで撮られちゃって。
でも、なんかいい笑みを浮かべてるんだよね。
で、現像して渡された写真を見た祖母(祖母も同じく帰国子女で、いかにもアメリカ仕立てのブラックジョークが大好きな洒落た人だった)が、裏に笑いながら書いたのであろう。
なんだか見てると元気になるなと思い、手帳の表紙に見えるように入れた。
うん、おじいちゃま、いい顔してる。
【おまけ】
その写真の束に、この写真もあった。
なんか面白くないですか。
昭和のサラリーマンおじさんが同じような髪型にメガネにスーツで集合して、まるでコントのワンシーン。
なんで写真に撮ったんだろ。