見出し画像

仕事を辞めるのが早まったという話

いまの職場を辞めるのが、来春ではなく、年末になった。早まってしまった。

なんかもうこの件に関しては、細かくは振り返りたくない。
上司と再度行われた面談の場で、あまりにも、あまりにもなことを言われたり、変な条件をつきつけられ(それは普通に上司が部下にやってはいけないことなのだが、上司のなかでは正当性があるのらしい)、「おかしいです」と戦ってもよかったのだが、それよりも「もういい、一秒でも早くこの場を去りたい」という思いの方が強まった。
目の前でよく分からんことをまくしたてられ、なんかこの人はいじめっ子みたいなことを言うんだな、と思っていた。

その変な条件は飲めません、だからもう辞めます、と言って、年末に辞めることにした。
目を合わせるのも嫌だったので、ずっと下を向いて、俯いて面談が終わるまで耐えた。

その面談が終わるのを心配して待っていてくれた同僚のデビさんは、またドトールで話を聞いてくれ、自分のことのように怒ってくれた。こんな意味不明なことは経験したことがない、どう処理していいか分からないですよ、と怒りに震えるように渋い顔をしてアイスティーを飲んでいた。
そのことが本当にありがたかった。
ありがてえなあ、人生は人とのご縁だなあ、わたしはこんな目にはあったけど、人には恵まれている。それこそがいちばんの宝物だ。

たとえば労働相談や上品先生やムロヤマさん(弁護士の友人)に相談をすれば、上司になんらかのダメージを与えられるだろう。
でも、もういい。
そういうことにエネルギーを割くよりも、前を向いて、笑顔で2025年を迎えたい。

そう、迎えるのだ!
ニーゼロニーゴー。

って、言い聞かせてる。
だって人生は短いのだ。嫌な人のことを嫌な風に考えてる時間よりも、もっと素敵な良いことを考えて過ごしたいじゃないですか。

闇のように黒い気持ちは、秋の風に流してしまおう。そう思って生きていたら、きっといいことがある。
そう思わなきゃやってらんないよね。

ちなみに上品先生は、前回の診察で「来春に辞めることになった」という所までの経緯を話したところ、上司の発言やそのいきさつに激怒していた。
穏やかで理知的で、ふだんは感情を見せることがない先生が、顔を赤くして「なんですかそれは!」と怒った。「それは上司がやっていいことではない」と、目を見開いて怒っていた。
とてもびっくりした。
しかし、それほどやはりこれは変なことなんだな、とすこしホッともした。

辞める、年末に。
もう確定だ。
と決意したら、もちろん悔しい思いや、支援してきた若者への思いは未練として残るけれども、これからの自分がどんなことができるんだろう?とこれからに思いをはせられるようにもなってきた。

来年の今頃、わたしはなにをしてるんだろ。
どんな形であれ、困っている人を支援することができる仕事に就けているといいな。

楽しくがんばれよー、来年の自分。

・・・

さて、わたしがこんな風に激凹みで上司に詰められているさなか、娘は、ふたたび学校に通えるようになった。
月曜は保健室までクラスメイトに迎えに来てもらって途中から教室へ行って授業を受け、そしてその次の日は朝からひとりですべての授業を受けて帰ってきた。
いわく、「もうぜんぜん大丈夫」なのだそうだ。

そうして実際に、今週、毎日すべての授業を受けて帰ってきた。しかも、元気に。

「休み時間はちゃんと休む」
「勉強を頑張りすぎない」
「学校が終わったらすぐ帰る」
「湯船にゆっくり浸かる」
「夜は早めに布団に入り、8時間睡眠をとる」
「困りごとがあったらすぐに母に相談する」

など、日々の学校生活をすこやかに送るためのコーピングを書き出して、実行している。
すごいなと思う。
なんだかちょっと尊敬しちゃうよ。

娘が元気でいてくれることがなにより嬉しい。
わたしの身に色々なことが起きても、とにかく娘が元気でいてくれたらそれが一番なのだ。

だから、よかった。
わたしもきっと元気になれる。

・・・

そんな感じで今週も嵐の精神状態、からの、ようやく落ち着いてきたところなので面白いことも書けませぬが、とりあえず元気になれると思います、ということだけご報告して。

‪🐹最近のふくちゃん‪🐹

ブロッコリー?はい、食べますよ
でも、本当はカリカリのほうが好きですけど
これほど油断した寝姿があるだろうか…