あなたはあなたの普通という帆を張って
久しぶりにひとりで銀座へ行ってきた。
コロナの数年は街がほどよく空いていて快適だったけど、もう、以前のように外国人の方々でごった返していた。こんなにみんな、何を買いに来ているんだろう?と思う。
銀座、有楽町、というのはわたしにとってはちょっと特別な場所で、
というのは、
わたしはもともと東京の品川で生まれ育っているので「家族でちょっと外食」というと、品川駅から山手線にちょこっと揺られて有楽町か渋谷へいっていたものだったのですね。
(ちなみに昔の品川はいまみたいにたくさんお店があったり、お洒落に栄えてもなかったんです。新幹線も止まらなかったし)
だから今から30年くらい前の渋谷や有楽町のことは、懐かしくよく覚えている。
まだ自動改札化していない渋谷駅の有人改札がずらりと並ぶ感じとか(井の頭線の乗り換え口とか、それは壮観凄だった)、有楽町も銀座もまだ昔ながらのゴチャゴチャした街っぽさがあった。
いまはなき渋谷東急文化会館のプラネタリウム。渋谷の駅前はすっかり変わってしまった。東横のれん街もなくなっちゃったよね。
渋谷あたりは昔とはもうすっかり様変わりしてしまったけど、有楽町や銀座にはまだ、変わらずに残っているものがある。だから懐かしくてたまにひとりでぶらぶらしてしまうのだ。
5年前に亡くなった父は、長いこと新橋寄りにある会社に勤めていた。
よく家族で夕方に有楽町駅で待ち合わせて、三笠会館の2階のレストランで一緒に夜ごはんを食べたものだった。父はそのお店のスパゲティがとても好きだった。
三笠会館も、そのレストランも、まだ同じ場所にある。父はいなくなってしまったけど、父との思い出が変わらずに残っていることが嬉しい。
ひとりで銀座をぶらぶらするときは、あちこち立ち寄る。銀座菊廼舎で「ふきよせ」を買い、ちょこっと歩いて瑞花で「チョコの種」を買う。教文館ビルで本を見て、上階にある「カフェきょうぶんかん」へ(空いてて穴場です)。
三笠会館の前を通って、三越のデパ地下の美濃吉でお弁当を奮発。これは舌痛症で大変だった自分へのご褒美だ。
ほくほくした気持ちで銀座駅の地下鉄への階段を降りて、家路につく。
いろんな人の中にそれぞれのふるさとがあるように、わたしのふるさとは昔の東京のなかにある。いまはもうなくなってしまった景色、いなくなってしまった人たち、それでもかすかに残っている懐かしい匂い。
最近は毎週土曜の夜にBSテレ東で「男はつらいよ」を見ているんだけど、映画の中には昔の東京がそのまま映像で残っている。特に、駅や電車を見ていると懐かしく感じる。だから好きなんだよな、寅さん。話も笑っちゃうくらい面白いし。
思い出は、胸の中にちゃんとある。
なんだかホッとした気持ちになるんだ。
・・・
今日、とある場所でこんな言葉を見かけた。
とある悩みを抱えた方に、ご家族がかけた言葉なのだけれど、なんて素敵な言葉なんだろう、と思った。
かつてわたしが不登校をしていたときに、親にこんなふうに言ってもらいたかったな。なんて、中学生の頃の自分がひょっこり顔を出す。おや、あなたまだそこにいたの。
「どうして学校に行けないの」
「みんな行ってるのに、なんで普通に行けないの?」
そんな言葉がつい出てしまうのが親というものなのかもしれない。でももし、「あなたが世間一般的な普通でいてくれることがお母さんの幸せではないよ」そんな風に言葉をかけてもらったら、その頃のわたしはどんな気持ちになったかな。
「普通に学校に行けなくて、こんな私は生きていても仕方がない。親に申し訳ない」
なんて、小さな小さな文字で日記に綴らなくても済んだのかもしれない。
わたしは今、ひきこもりや無業期間の長い若者たちの就労支援を仕事としているけれど、ご本人が学校に行けなかったり、働けなかったり、うまく生きられなかったりして「世間一般的な「普通」になれない」ことを充分に自覚してとてもとても苦しんでいるのに、親御さんは「どうか我が子は普通であって欲しい」と願い、「普通であってくれ」と言ってしまう。
その言葉は、祈りや願いのようにその人を前に進ませるための風ではなく、正面から吹き付けてくる呪いの逆風になる。
そんな様子をよく見てきた。
いまも、見ている。
うちの子はひきこもりなんかじゃない。アルバイトなんかじゃなく正社員になって欲しい。心の病気なんかじゃない。発達障害なんかであってほしくない。障害手帳なんてとんでもない。仕事を辞めないでほしい。
普通であってくれたらそれでいい。
それは、どうして?
とよく思うのです。
ご本人の心がすこんと置き去りにされている。
その人にはその人の普通がある。
100人いたら100通りの普通があっていい。
学校に行けないとしたら、それがその人の普通だ。人と話すことが下手でも、失敗が多くても、あなたにはちゃんと良いところがある。
わたしは、わたしという人生において普通。
堂々とそう思ってほしい。
だってあなたは他の誰とも較べようもなく、あなたなのだから。
あなたが朝目覚めたとき、何かをとてもつらいと感じず、今日もいい日になるといいなと思いながらすっと身を起こせる、そんな日々を送れることがなにより大切で優先されていい。
そのために何ができるかを一緒に考えましょう。
わたしの職場にやってくる若者たちのこれからがそのような日々になるようにと、背後から風を送りながら、わたしは支援をしています。
しかし、普通ってなんなんだろう。
「普通は○○なのに」
もしそんなふうに言われたら、こう言ってやりましょう。
「それってあなたの普通ですよね?」(ひろゆき。笑)
あなたがあなたらしくあなたの普通を生きることで、はじめてあなたの人生の船は帆を張って漕ぎだす。
普通に負けずに、普通に生きていきましょう。