金木犀、「辞めます」と言えた日
「来年の春で辞めようと思います」
と言った。
8年続けた仕事を辞めると言ったらどんな気持ちになるのだろう、と思っていたが、言った瞬間、心の重苦しいなにかがスっと消えたような感があった。
あ、軽くなったな、と思った。
人の心は分からないが、どうやら相手はわたしが辞める、ということをそこまで本気で言うとは思っていなかったのか、
「休職ではだめなのか」
「勤務日数を減らすのでは」
など、いくつかの代案を出された。
でもここにいる限りは休職をしようが勤務調整をしようがおそらくわたしの状態は変わらないので、と、冷静に伝えることができたと思う。
それくらい決定的に、木曜の面談はわたしにはなにかピリオドを打つものだった。これまでにも理不尽な思いをして何度も泣いたり凹んだりしてきたけれど、その度になんとか持ち直してきた。それはなにより職場にやってきてくれる悩める若者たちの支援がしたかったからだ。
でも、今回は、また別の環境でわたしにできる支援の仕事をしようと思えた。
人生にはなにかそんなタイミングがあるのだと思う。
娘が学校に行けなくなって、わたしも心配や不安や苦しさで胸がいっぱいになり、毎朝満員電車にのって娘を保健室まで送り届けてから仕事をし、お昼も食べる暇がない日が続いた。それはめちゃめちゃ大変で、心身もヘトヘトで、そんな状態のなか、「???」と思うことを言われたことで、決心が着いた。
決心しなさいな、と誰かに言われているような気持ちになった。
その誰かは、誰だろう。
誰かは分からないけど、きっと悪いようにはしないでくれる気がする。
どちらかといえば、タイミングをくれてありがとう、と思う。
・・・
「中間試験から教室に復帰しようと思う」、と言った娘は、今朝、仲のいいクラスメイトが待ってくれている校門の数メートル手前で、
「やっぱり無理です」
と立ち止まった。
うーん、無理だった。
担任の先生や仲の良いクラスメイトとにも協力を得ての今日だったが、そのときの娘はそれはもうどう考えても無理だ、という風情だったので、説得しても仕方がないなと思った。
ぎゅうぎゅうの満員電車でここまで来たのに、仕事も嫌味を言われながら遅刻しているのに、とすこし頭をかすめたが、そういうことは絶対に娘には言わないと心に決めている。
「わかった。でも、せめて今日ここまで頑張ってやってきたのだから、せめて保健室には行ってみよう」
と言い、中間試験のためにテキスト片手に足早に教室に向かう生徒さん達のなかをするするとすりぬけて、裏口から保健室に入った。
養護教諭の先生はとても優しく迎えてくれ、私と娘を小部屋に案内してくださった。
そこでわたしは娘としぱらく話をして、今日教室に行けなかったことは別に失敗ではないこと、コンディションを整えてまた「行けそう」と思う時にチャレンジしてみようということ、そして、教室だけがどうしても精神的に無理ということであればそれを一度校医の先生(精神科医)にも相談してみよう、ということを話した。
選択肢はいろいろある。
頼っていい人も、試せることもきっとたくさんある。
本人がひとりぼっちで悩むことや、親とのふたりぼっちで不登校の悩みを抱え続けることだけは避けたい。だからわたしは申し訳ないと言いつつも、学校の先生やスクールカウンセラーさんや、娘のお友達や、校医の先生にもSOSを出している。考えることよりも、動くことで変わる流れもあるだろう。
今日はわたしが仕事から早く帰ってきて、娘と一緒にかぎ針編みをした。というか、まったく編み物ができないわたしが娘に教えてもらった。娘は手芸が得意なので、これから一緒にかぎ針編みのモチーフを編もうということにしたのだ。
手芸をする娘はとてもいきいきとして、笑顔がかわいい。元気だ。よかった。
・・・
悩みやしょんぼりやトホホばかりの10月ですが、今日から近所の金木犀が花開いた。
甘い香りが大気にただよっている。
金木犀の香りに、なんだかはげまされる。
大丈夫、秋になれば必ず金木犀は咲くし、毎年秋はやってくる。そうやって一年一年が過ぎていって、いつか「そんな頃もあったねー」と笑えるようになるのだ。
いまの「わたし」だって、そういうたくさんの苦しかった「わたし」の積み重ねによって、「わたし」になっている。
結局はそういうことになっているのだから、生きてて大丈夫。そう思う。