守られる女にはならないと決めた朝
女は守られる存在なのか
新旧問わず気になるアニメは観る。
今と昔と製作時期が違っても大体のアニメを楽しみ、どんな価値観でも受け入れて観ているのだが
その中でも唯一許したくないのが
『女性は男性に守られる存在』
『店員や上司は神様』的な思考による表現だ。
きっと10年、20年前は当たり前だったかもしれない思考が、今は受け付けなくなったのだ。
とあるアニメの描写で
「店員がそんな態度とっていいのか?」
「見せたくて見られたくてそんな(露出多め)の格好してるんだろ?」
というとある男性のセリフに嫌気がさした。
きっと何年もかけて様々な人が声を挙げてくれた結果だ。そして、そんなこの時代に生きてこれて本当に幸せだと感じている。
強いのは男性だと決めつけられない時代
今好きなアニメのひとつ、『呪術廻戦』
このアニメの話を友達にすると、
多く聴こえてくるのは
「かわいい女キャラいなくない?」だ。
かわいいという言葉は広義な言葉だが
容姿が愛らしい、か弱いという捉え方をしているとすると…
たしかに、従来のアニメや漫画史と比較すると
ピンチに男性キャラが助けてくれる展開は
ほぼないのではなないだろうか。
男性に頼るわけではなく
自分が自分らしく在りたいという行動指針を抱いて生きているキャラが勢ぞろいしているのは、このアニメが群を抜いているのではないだろうか。
そう。
女性も強くではなく
自分が自分らしく生きる、なのだ。
フェミニストという言葉が嫌われるのは『男女と分ける』から?
密かに思っているのが、
「女性らしく」
「男だから」
と基準を男女としているからのも
関連しているのだと私は思う。
私の好きなアーティスト達もよく言っている
『陰と陽も そう虚と実 善悪も産まれは同じ
正しさがあるからダメになるものも
この光も闇も愛も As one』
『「賛成」と「反対」の間に「答」が生まれればいい
「正しさ」を主張するだけじゃ 「答」じゃないんだ』
分けるから起こる事象もあるし
改善される事象もある。
何が正しいかなんて分からない。
女性だから、男性だから
ではなく
人として良いと思うことをしていきたい。
正義だ悪だと決め付けるのではない
より良い世界を夢見ている。
フェミニストではなく、
人として女性という性を
人として男性という性を楽しむ世界が
今後目指す世界であればいいなと思う。
そんなことを思った朝のあたし