目指すはDO NOTHING 農法
目標が定まりました。
目指すは、何もしなくてできる野菜、
Do nothing 農法。
今日、先に達成しているミョウガを見て気がつきました。
毎年、ここは種まきや除草もしていません。
空極は、勝手にできる野菜を目指そうと。
そのために、しなくて良いことを見つけていく、
あるいは、今やっていることを減らしていく。
常識も疑う。
場合によっては、常識は捨てる。
農家じゃないから、
大量に無理して作らなくてもいい。
見栄えもいらない。
小さい、形が悪いは全く問題なし。
3年ほど前は、なぜか適当にばら撒いたカボチャなどが
うまくいきました。
大きくてとてもおいしいカボチャ、約40個。
その時、かぼちゃを食べて、初めて涙が出ました。(本当です。とても身にしみる美味しさでした。)
家族、知人、友人等配りまくって、とても好評でした。
でも、そのあとの年は残念ながら、
今ひとつです。
そのかぼちゃがなぜうまくいったのか、
適当で実ったのか、理由は不明です。
ですが、身近な人たちに
喜んでもらえたのは事実です。
むちゃくちゃおいしかった、と皆に好評でした。
適当に蒔いたのが、
結局身近な人たちを少し幸福にしてくれたわけです。
もしかしたら、規模をデカくすれば、苦しくなるのかもしれません。
面積が増える、栽培、収穫、販売等で
手間が多く増える。 農機を買えば、負担も増える。
そのうちに野菜がお金に見えてくるのかもしれません。
私個人のことで、野菜作りについて
いろいろ考えました。
結局、本当のところは手足で事足りるぐらいで、十分、と言うことです。
自分に負担をかけず、
むしろ、農作業で自然に触れて、元気になる。
ほどほどにできたお野菜をいただく、
このような感じで良いと思います。
(人それぞれ考えは違います。上記は単なる個人的な考えです。他の人や農家さんを否定する気はありません。)
そして、今日、川の堤防で偶然見かけた、
野菜がいいお手本です。
元は、誰かが、こっそりと捨てたものです。(不法投棄です。)
それでも色々と実っています。
誰か野菜の世話をしたとは思えません。
実際は捨てたのに、
育った野菜です。
この成長を見て、それ捨てたものから
実って収穫できるとすれば、
すごいことです。
これぞDO NOTHING です。
深く考えず、悩まず、焦らず、
力を抜いて、野菜作りをしたいと思いました。
一応、種まきやポット苗などもしますが、
究極はまさに何もしないでできる農法を目指していこうと思いました。
欲( 立派な野菜ができた、と人に自慢する)→無駄
規模を大きくする野心→捨てて良いと思います。
なぜなら、莫大なお金がかかり、
負担がかかる。さらに後から悩みが増えるかもしれません。
規模が大きいだけ、自然も生き物の存在が薄れ、知らないうちに殺傷していきます。
自然に触れる機会も減るでしょう。
規模が大きいが故に苦しい話は何度も聞きました。
効率や経済をつい考えてしまいますが、
一旦、経済から離れるのが
良いかもしれません。
そうすることで、健康への道筋も見えてくるように思います。
子供のように、何も考えずにすると良さそうに思いました。
手本は、自然に実った植物です。
蒔いた種からどうなったか、
見ていく。
期待せず、あまり気にせず、
自然に触れることを第一にしていこうと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?