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自然に逃げる

以前、農作業中にお腹が空かないで
過ごせることがありました。

長い間、植物の酸素を吸っているか、
あるいは自然の音、昆虫の羽の音、

秋や夏のなく昆虫(せみ、キリギリス、コオロギ、鈴虫、マツムシ等)、
野鳥、などの音に
何か良さを感じて
満たされていた、と思う。

この満たされた、というのは、
おそらく、精神的なことと
体力のこと、何かを食べている
状態に近い。

ただ、決して食欲だけが
満たされた状態、というだけでは
ないようです。

最近になって、もっと深いものだと
気がついてきました。

農作業、とはいっても、
うねがある普通の畑とは言えず、
草が生えているところです。

野菜よりも
野草が多い。 要は、何をしている畑か
わからないとろようなところです。

草原か、外国の人には
ナチュラルガーデンといえば、
通じたところです。

ただ、
ナチュラルガーデンに入ると、
生き物の鳴き声がとても多い。

風や光、香りも快適そのもの。

別世界に入ったかの様な
感覚になる。

圧倒的な快、ともいえる。

虫の音は、全体から響き、

まるで脳内で秋の虫の鳴く声が
響わたるような音です。

さらに太陽の光、風が吹き、
季節の花の香りが漂う。

今はお米の花の香りも
混ざっているのか、
どこか甘さもある香りです。

要は、いい香り、いい風、いい音、いい日差し、きれいな空気、

きれいな花、といった、快適なものの中に埋もれている状態です。


自然の快に埋もれてしばらく経つと、
まず、考え事が消える。

たとえば、悩みや
過去のどうしようもないことを
思い出すことがない。

昔の職場の苦手な上司、

厳しい先生や部活の先輩など、
思い出しても、どうでもいいことを
たまに思い出すことがあったのですが、

自然に入る、浸かるといった方が
いいかもしれません。


自然の音などを聞いていると、
何も考えない状態になるようです。


中学生の頃だったかと思うけど、
結構怖い先生がいました。

今だったら、問題に
なるのかもしれないけど、

教師が生徒のひっぱたく、
ひどく怒鳴る、
といったことが日常でした。

誰も疑問には思わなかったし、
授業/先生は怖いもの、
って皆感じていたと思う。

授業中は異常な緊張感があって、
他の人の辛さを見るだけでも辛い。

どこかに逃げたいような気持ち
でしたが、
どこか、の答えは
自然の中だったと思う。

いまさらですが、
逃げ場所を知った。

自然に埋もれていると、恐怖がない。
お腹も空かない。

何か思い出したり、考えることもない、
といった心境/状態になるわけです。

何も考えない、ただ心地よさを
感じている、
といった心理状態です。

そのとき、まるで人間であることすら
忘れているように感じた。

人間関係のストレスや
過去のことを思い出すこともない。
ある面、解放されている世界ともいえる

となると、自然の中に逃げ込めば、
一時的であれ、
いろんな悩みは消えるのかも
しれません。

これは、虫の鳴き声、風、日差し、
鳥の声など、花の香り (季節の野草の花が咲いており、いろんな香りが漂っています。)など、

多くの条件が揃っている状態であることが条件だと思う。

農作業をしていると
全くお腹が空かなかったことが
不思議でしたが、

野草などの生気を吸っていたからだと思っていました。

もちろん、生きた空気を吸っているから、とも言える。
ただ、どうやら、食欲だけではないようです。

もちろん、気温自体は高いので、水などは時々飲みますが、
お菓子を食べたい、と言う様な気持ちは皆無。

どんなに暑くても、アイスクリームを食べたいとさえ思わない。

我慢ではなく、
食べたいと思う気持ちが生まれない。

食欲が満たされたというよりは、
消えたとも言える。

もしかしたら、食欲さえも消すのが、
植物/生き物なのかもしれない。




となると、秋に近づくころの
ナチュラルガーデンでの
農作業自体は、

別世界にいる状態だと言える。


極楽浄土、とまでいえば、
極端だが、

とにかく、悩みや不平不満、緊張感、食欲が消える。

考えたり思い出すこともない
不思議な世界です。

自然に埋もれると、
圧倒的な快の世界に入れる、
ということです。

食欲が満たされた状態になるので、
断食も簡単だと思う。

何も食べないで
過ごす人もいるそうですが、

おそらく、自然に埋もれている状態に近いのかもしれません。

食べていないようで、何かを
取り入れているのでは、
って思います。

人間関係などのストレスとは全く無縁
過去の思い出を思い出すこともない。
緊張感もない。

こうなると、人間社会から抜け出た、逃げ出した状態ともいえなくもない。

となると、もし、
仮に何もかも忘れたい、

もしかしたら、死にたい、って思う時に
自然に逃げれば、
そういった感情も
消える可能性は高い。

ただ、ずっと自然に浸かっていたら、
完全な現実逃避、

ふわふわしすぎで、それはそれで
危ない状態かもしれない。


ただ、何らかの恐怖、
恐れ、怒り、悲しみ、
食欲ですら消えるなら、

自然に浸かるのは、
万一の時の逃げ場所、

オアシスのようなところ
とも言えるかもしれません。


片道30分くらいかけて歩いて
帰りますが、草から出るとまた
現実社会に入る。

ふと帰りに車が
横を通っただけでも、
排気ガスの匂いが
とても気になってしまう。

以前は全く気になって
いなかったのに、排気ガスが
気になる。

怒りとまではいきませんが、
いい気分ではありません。

人間社会は自然界からみれば、
結構汚れていると
いっていいかもしれません。

以前から、私は呼吸の力を
つけるといい、と
何度か書いていますが、

呼吸の力が大きければ、それだけ、
多くの自然に浸かり、
良いものを取り入れられます。

ただ、その反面、悪いもの、
空気の汚れなどが
とてもわかる、気がつくように
なります。


トマトがいい味します。
食用ほおずき/インカベリー
いい味します。


オクラを生でかじる。
疲れも消えます。

気温は暑い、それでも
水を時々飲み、生えているトマトやオクラなどを少し取る。

少し口にするだけで、
随分と元気になものです。

オクラは
生でうまい。

そもそも生で何もつけなくても
食べられる、ってずっと前は
知らなかった。

おそらく、野菜は特別に美味しいはずはないけど、
美味しく感じる。

疲れも取れる。

栄養価は、タンパク質の多い、肉魚類の方があるはず。

それでも、元気がでて、
尚且つ消化の負担がかからないもの、

となれば、
こういった土から育ったもので、
新鮮なものだと思う。

栄養価が高いと確かに
エネルギーにはなるけど、

消化にも結構なエネルギーがいる。
というのは意外な盲点。

人の体もうまくできていて、
脂っこいものをたくさん食べれば、
エネルギーにはなるものの、
眠くなることが多い。

これは、お腹に働きが
いくことで、消化に
エネルギーを使っている、といえばわかりやすい。

そこで、消化を助ける昔ながらの梅干しがあれば
良いわけだが、

よくよく梅干しを
考えてみると、
全て天然素材、
自然の力でできている。

梅に塩、赤紫蘇、そして、天日で干すだけ。要は梅、紫蘇、塩、そして
太陽の光でできたもの。

人は準備をするけど、結局は自然の力でできたもの、とも言える。

まして疲労回復物質のクエン酸も豊富に含まれている。

外で食べる梅干し入りの
おにぎりが美味しく、

またその後の活動がしやすいのも、
わかりやすい気がしてきます。

梅干しあれば、
ごはんは腐らない。

おにぎりの消化を助け、尚且つ、疲労回復の天然のクエン酸も豊富。

クエン酸のみならず、
天然の有機酸が豊富で
そのバランスが絶妙だそうです。

梅干し一粒で
効果は計り知れず。

ちょっと話がそれそうに
なりましたが、
自然界は絶妙のバランスで
なっていると思う。

絶妙、というより、
完璧なものとも言える。

梅干しこそ同じく同様に
完璧なバランスで
できているからこそ、

軽く1000年以上の歴史が
あるとも言える。

自然に従えば、農薬肥料、除草作業なくてもこの状態。
色、香り、生き物の多さ、そしてお米の量も十分でしょう。
完璧な芸術とも言える。


野草は決まった時期にしか
生えてこず、昆虫類も同様。

微生物から食物連鎖、細かく見ていけば興味深いものだけど、

本当に見事としかいいようがない、人の知識を完全に超えたような
バランスと調整/回復などのある世界だと思う。

となると、自然界は完全な世界、
その完全な世界に
身を入れる、入り込めば、完全なものを味わえるか取り入れられるとも
いえないだろうか。

自然は完璧なもの、
完全なバランスで成り立っている、
人を超越したもの、
と考えるだけで十分に思う。

知識や科学的なデータの
積み重ねで見ていけば、
興味深くはなるだろうけど、
全ては解明できない。

あるいは、場合によっては自然を
間違った解釈にもなりかねない。

完璧なバランスで、人の知識を超えたもの(野菜作りでもしていたら、気がつく人はきっといる。)であるから、
人の知識では勝てない。

脳にはブドウ糖がいい、といってブドウ糖だけを食べれば
一気に血糖値はあがるし、

クエン酸だけをとって疲労回復、
というのも
単体だけではバランスがわるい。

鉄分がいるからといって、濃度の高いサプリメントで解決か、
というと、そうともいえない。

濃すぎて消化できない、あるいは
バランスが悪く、取りすぎの弊害も出てくるかもしれない。

要は、多ければいいって
いうものではない。

おそらく、健康食品の多くは
宣伝が目立ち、
絶妙なバランスかどうかは、疑問。

野菜も、水耕栽培のものは、ちょっと置きっぱなしにでもすれば、
すぐにしおれる。

土の力がない。自然食品のようで、乱れたものとも言える。

そこで自然食品、梅干しを見れば、
鉄はあるし、クエン酸、その他様々な
有機酸があり、自然界のごとく、完璧なバランスだと思われる。

ただ、梅干しの知識は別になくても、梅干しのことを
知らなくても、様々な効果は
実際にあるわけです。

ましてや天日で干した、というだけで、
一体どんな効果や可能性があるのか、と考えてもわからない。

複雑に味付けして
食べやすい調味梅干しは、
人が関与したもの。バランスが崩れ、味だけは食べやすいかもしれない。

化学調味料や添加物
自然界にはない。

調味梅干しの賞味期限をみると、
6ヶ月とあった。

では、信長の時代につくられた梅干しがあって、腐っていない。
賞味期限だけでも無限大と言える。

となると、味付けした梅干しは、
調味梅干しであり、
不自然なものともいえる。

不自然なもの、不自然なことをすれば、
自然の力、効能は期待できない。 

となると、梅干しはまさに
救世主の様な、自然を生かした日本人に
よく合う食べものだと断言できる。

不自然では、何か乱れ、その乱れたものが積み重なれば、おそらく
さまざまな病気の原因の一つになるだろうと思われる。

自然もよくわからずに
ただ接すれば、良い恩恵があると
思えてきます。


自然に逃げる、身を置く、草のなかに潜るようなことでも、
一時的に完璧な世界に入るわけです。

自然の中に入れば、
乱れた気持ちを整え、
過剰な食欲や何か、落ち着いて考えたら
いらないような物欲がなくなるか減るとも言える。

もちろん、人は生き物であり、人間社会に生きる。

当然、いろんな欲望や目的、その他、
幸せなどをいろいろと求めて
生きていくのは普通で、
極端になってしまわなければ
良いと思う。

ただ、乱れた状態は病気みたいなものではないか。

乱れたなら、自然に浸かるような、何か人間から生き物への
もどるような、草のなかに潜って虫の鳴き声や太陽の光を
あびるような、自然に帰る、ことがきっと良いと思う。

現に、草の中には圧倒的な快があり、たとえ、欲望が消えていても
快に思ったのが、ナチュラルガーデンでの農作業だった。

電動草刈機やチェーンそうなものがあると、明らかに乱れてしまう。
バランスが崩れる。

ただ、鎌などの道具であれば、
そう乱れることはない。

刃物は正しくつかえば、
心を正し、精神が集中する。

料理も楽しく、美味しくできる。いわば、幸福への一つの
役に立つものと言える。


ただ刃物は、乱れれば、
武器、凶器にもなる。

道具は人が作ったものだが、
よくよく見れば、
自然と調和、活用ができるものが
道具で

草刈り機などは、機械で便利だけど、
狂気になりかねないものとも言える。

現に見えないだけで、相当な数のカエルなどを殺傷している。
時にはヘビを殺すこともある。

自然に対しては凶器だろうし、
エンジン音は自然音ではない。

快適ではない。

快適に感じない、というのは、生き物による判断とも言える。

不自然ということに気がつかせてくれる、警告か本能かもしれない。

機械は便利にみえるものだが、
結局は何かよくわからない、
嫌な疲れがでる。

便利とは、人にとっては楽な様で、
注意してみないといけない。

便利からダメージを喰らっている、
あるいは、便利にはよくないものが潜んでいる可能性がある、

と心のどこかに思っておくのも
いいかもしれない。

冷凍食品をみていると、
明らかに便利そのもので、
まるでコース料理の
ようなものまでできそう。

包丁もハサミもいらない、切らない、火を使わない、
野菜から主食、デザートまで揃う。

便利な反面、料理をする
行為が消える。

料理は以外にも頭も使う。
考えなくとも見て次に何をする、など
体を結構使う。
料理をするとしないは、
体を使わないに等しい。

極端にいえば、包丁を
握る筋肉をつかわず、また
頭を使わない。

手足をほとんど使わず、食べる。
そこには、食べ物の貴重さを
感じる機会も
少ないだろう。

体、脳をつかわない、となれば、
何十年と積み重なれば、きっとどこかで乱れことが
あると思う。 

あるいは、いつのまにか傲慢な人になっていくのかもしれない。

家庭ゴミを袋につめ、
山や野道に捨てられているのを
見かけるが、
きっと食生活は乱れていると思う。

余談ですが、梅干しの辛さや酸っぱさが
気持ちを引き締めると感じている。

誘惑をも
断ち切るかのようです。

一粒の梅干しを食べるだけで、
さぁ、料理しよう、
って気持ちがこみあげ、
湧き上がる。

となると、やはり梅干しは
考えればどんどん奥が
深くなってきます。

また話が飛びそうなので、
やめときますが、

自然から離れれば、乱れる。 
何かがおかしくなる。

本来の生き物としての人間から
遠ざかるとも言えると思う。

離れれば、それだけ、傲慢さは目立つ。
あるいは、精神肉体が乱れて、

科学に頼って自然を知らず、
朽ちていくのかもしれない。

人は、自然の中の絶対心理に気が付かず
科学で自然を分析し、知ったつもりで
死んでいくのかもしれない。

自然の奥深さは
考えてもわからない。

ただ、乱れを感じたら草の中にはいる、
いわばナチュラルガーデンに身を置く。

梅干しを口にするのも
いいかもしれない。

極端だけど、死にそうだと思ったら、自然の中に逃げ、
身を置けば、
気持ちは変わる、少なくとも恐怖を
感じなくなるかもしれない。

作り物、見た目だけがきれいなところ、
たとえば、ゴルフ場だと生き物おらず、
だめだろう。

また植物園も悪くはないが、完璧な自然を感じ取れる場所ではない。

野菜を植えつつ、ふと生えている野草や小さな生き物が集まってくる、
そういった、小さなものが積み重なったところ、で何かを感じるかどうか。

自然の良さを感じられるかどうか、
その良さはきっと一瞬かもしれない。

だからこそ、秋の虫の声などに浸かり、
自然内に入る。
深いこと考えてもわからない。
むしろ考えない方がきっといい。

ただ、何か大事なことがあるように
思えてならない。

ツユクサ
ヨシノクズ







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