笑うマトリョーシカードラマと原作
今年の夏のドラマを面白く観たのだったけど、最終回まで見て結局よくわからなかったので(^_^;)、原作を読んでみた。
ドラマを見ていて、「ハヌッセン」に当たる人がどんどん入れ替わっていくのを「引っ張り過ぎでは?」と思っていたのだったけど、それは原作通りのことだった。
そういう意味では、出てくる人がみんなアヤシイ、というミステリーの王道のような話だった。
ドラマでは、その中でも一番怪しかったのが櫻井翔演じる清家一郎だった。
原作では、清家一郎は9割がた「そこにいる」だけの人で、だからこそ小説を先に読んでいたら、最後の最後のどんでん返しが効いたのだろうなあと思われた。
ドラマを先に観てしまったため、原作のその醍醐味が味わえなかったのはちょっと残念だった。
ただ、内容的には単なるミステリーというよりは社会的な問題を暗示しているのかなと思った。
清家一郎を、今の時代の政治家の象徴、と見ると、この小説が言いたいことが浮かんでくるような気がする。
そういう意味では、ドラマの描き方は原作者としては少し不本意だったのではないかな?
清家一郎をただ「本心がわからない」だけでなく、もっと不気味に描けたらよかったのになぁ、という気はしたのだった。
この小説には明確な「主人公」が見当たらないような感じがする。
最初から最後まで一番動き回っているのはジャーナリストの道上香苗だけども、あくまでも「狂言回し」的な役割で、この人自身にドラマがあるわけではない。
テレビドラマ化では道上役の水川あさみを主役の位置にするために、子どもがいるのに仕事ばかりで夫とギクシャクしている、という設定にして、でもあんまりそっちに尺を割けないからそっちの話は割と簡単に解決して、「この話、必要だった?」と思ったものだった。
玉山鉄二の鈴木俊哉が主人公でも良かったんじゃないのかなぁ、あるいはもっと清家一郎をサイコモンスターの様に描くこともできたんじゃないかな・・・と、なんか原作の持つ不気味さがイマイチドラマに反映されていなかったのが残念に感じられた。
ドラマ化の話が進んでいた時、あるいはオンエア中は、まさか2か月後に総理が交代して総選挙になるなんて予想外もいいとこだったけど、今この小説を読むとなんだかタイムリーだったな、と思ってしまった。
要するに、政治家の(もっと言うと総理大臣の?)ハヌッセンは国民であるべき、ということなのかな?
などと思ったりもしたのだった。