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「四季」をジャケ買い

ヴィヴァルディの「四季」は、私の人生を通して、すべての音楽ジャンルを含めても一番回数多く聴く曲になる。
・・・と思う、ではなく、もう現時点でそう断言できる(笑)
なんだろう、もう、好きとかそういうレベルではなく、補給しないと生きていけない空気や水みたいになってるのかもしれない。
家にも別のがあるし、サブスクでもいくらでも聴けるけど、CD買ってしまった。

というのも、「四季」ならなんでもいいかというと、微妙にそうでもなかったりするのだ。
私にとってのマスターピースはイムジ・チ合奏団の1959年盤。フェリックス・アーヨの独奏のもの。

私が聴いていた頃はもちろんレコード

子どもの頃、毎日のようにこのレコードを聴いていた。
このジャケットを眺めながら、中世ヨーロッパの情景や空気みたいなのを夢想するのが好きだった。

父のレコードだったから結婚して家を出る時には当然、実家に置いてきた。
丁度その頃時代はCDに移ってきていて、CD盤を買おうと探した時に、このジャケットの「四季」は多分出ていなかった。
散々探したけどなくて、サルバトーレ・アッカルドのを買ったのだったが、いつも「うーん、ちょっと違うんだよね~」と思いながら聴いてきた。

私にとって「四季」の曲たちはこの絵とセットになって脳内に刷り込まれている。
だから、誰の演奏ものであってもこの絵が脳裏に浮かんでくるのだが、出来ることならもう一度、この絵とアーヨのセットを味わいたいものだと思っていた。

サブスクの時代になってたくさんの「四季」が聴けるようになったけど、このジャケットのものは(私が利用するYouTubeMusicでは)なくて、もうこのジャケットは見ることができないのかなあと寂しく思っていたが、先日、レコード店のオンラインショップを見ていて見つけた。
これ、これだよ、えー、いつ出てたんだろう。

もう、即ポチ。
その時、オススメで出ていたもう1枚も一緒に購入した。

N響室内合奏団 徳永二男 1991年

おっ、徳永二男さんだ、と思ったのもあるけど、ジャケ買い。
やっぱり「四季」はこういう絵を眺めながら聴きたい。
このCDの演奏は「真面目にきっちり」という感じの、いかにもN響、という印象で、ちょっと今まで聞いたことのない感じで新鮮だった。

うん十年ぶりに聴いたアーヨの1959年盤は、もう体に染み込んでいるので「久しぶりに聴いた」というよりは、ジグソーパズルの最後の1つがようやく入った、みたいな安心と落ち着きを感じたのだった。
あー、よかった、これでいつ死んでもいいわー(笑)

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