ゼロではなかったと思える幸せ
私の母親は今で言う「毒親」だったので、母にまつわる甘やかな思い出というのは、ほとんど無い。
感情的には「一つもない」と言いたいくらい、母に対してはわだかまりがあるが、そんな母親でも私に残してくれた「良い思い出」がある。
それは、母が歌ってくれた童謡、2曲。
母は幼少期に「ちびっこ童謡歌手」みたいな時期があったらしく、「ラジオで歌ったことがある」というのが自慢だった。
そして、毎日高らかに歌を歌いながら家事をしていた。
私は物心ついたころにはすでに母が嫌いだったので、これ見よがしに歌う母がイヤで、人前で歌を歌うことは恥ずかしい事だと思う人になった。
そのせいで、後年カラオケが大流行りしたときにとても苦労した、というのは蛇足だが。
そんな母が子どもである私に歌ってくれた童話が2曲ある。
ひとつは、
♪バナナをたべるときのうた
調べてみるとこれは1963年のNHK「みんなのうた」の歌とのこと。
弘田三枝子さんが歌っていたんだ!元歌、聴いてみたいなぁ。
「みんなのうた」はよく見ていたので、おそらくテレビで見て、バナナをたべる時に母が歌うようになったのだろう。
私は今でもバナナを食べようと皮をむくときに、この歌を口ずさんでしまうのだ。
普段忘れていても、バナナの皮をむこうとすると何故か脳裏に流れてくる。
このところ毎日、朝食に「バナナヨーグルト」を食べているせいで、毎日歌っている。
そうするとなんとなく幸せな気持ちで1日が始まる。
もう一つは、
♪ペンギンちゃん
作詞/まど・みちお 作曲/中田喜直 、という正統派童謡だが、ネット検索では、いつ作られてどこで初披露された歌なのかなど、詳しいことはわからなかった。
ただ、母が良くおどけながら歌ってくれて、私がケタケタ笑いながら聞き、「もう一回歌って」とせがんだりしたことは記憶にある。
おそらく、よほど母の機嫌が良い時だったのだろう。
自分のために歌ってくれているのも嬉しくて、何度もせがんだのだろうと思う。
自分が母親になった時に、まだ赤ちゃんだった子供にいろんな童謡を歌ったが、この曲を歌う時が一番幸せだった。
多分、自分の中に沈んでいるこの歌にまつわる幸せな感情が、よくわからないままに浮き上がってきていたのだと思う。
子どもが少し大きくなってからは、空から落ちてくるものをお菓子にして「むしゃむしゃ食べました」とか替え歌にしたり、「今度は何が落ちてくるかな~?」なんて遊んだりした。
私が幼い頃にそうだったように、子どもたちがキャッキャと笑って「もっともっと」とせがんできて、キラキラした幸せなひとときだったなぁ、と今でも思う。
バナナの歌を歌いながら、私のためにバナナの皮をむいてくれた時、ペンギンちゃんの歌で私が喜んで「もっと歌って」とせがんだ時、そんな時ぐらいは混じりっ気のない気持ちで私を可愛いと思ってくれたかもしれないな、と
この童謡を口ずさむ時だけは、今は亡き母に対して、少し気持ちが和らぐのだった。
このところ毎朝「バナッナの木に~♪」と歌っていてふと、この気持ちは残しておきたいと思って書いてみた。