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音読 『感受体のおどり』 第10番
第10番を音読します。
月白がつけた傷は月白によってしかいやされないので (以下は略)
第10番: おどり・中期(月白・私)
積もるばかりの恋心をまぎらして歩くいつもの風景に、占いのごとくに思いを託して一喜一憂する様子。
踊りたりなさながめたりなさに歩いていって,
踊ったりながめたりすることは踊ったりながめたりすることにすぎなくて,やりばのなさに歩いていくと,
上のふたつのフレーズは、ひとり同じ道を帰る、別々の日の描写です。うまく読めなくて何度も音読してみたら、これって同じこと言っているよな? と気がつきました。
一見くどいようにも見えますが、恋のまわりをグルグル回って、日々ああでもないこうでもないといろんな角度から眺めている、という気持ちを思い出すような感じがしました。
ルビ付きで「夕占」という言葉が出てきます。黒田夏子さんの造語かな? と思ったら、ちゃんと古語辞典に出ていました。
夕占 ゆふうら、ゆふけ。夕方道端に立って往来の人の話を聞いて吉凶をうらなうこと。
万葉集などに用例があるらしい。教養の壁は高い。
何度音読してもひっかかるのが、
ほかの木木のどの枝がどの木のとも見わけにくい
という所。「どの木の”もの”とも」と、いらない言葉を入れてしまう。
細かいことを言うと、「小おか」は「小さい丘」だとはわかるけれど、音だけ聞くと「高架」に聞こえてしまって分かりにくい。「厚く」のアクセント、「繁りしずまって」の「しげり」のアクセントでウロウロ してしまう。など。
ウロウロ の話ばかりでは残念なので、「なんとなくいい」と思ったフレーズを。
繁りしずまっているのよりも落としつくすおびただしさになぐさむようで,
上記サイトにて、『感受体のおどり』の試し読みができます!