なかなか死ねない人様の親を連れだして、山にかえす。海にかえすときもある。 焼き肉と寿司の食べ放題で、おなかいっぱい食べた老婆が、東京湾からカリフォルニアに向かって泳いでいくのを、高いところから見守る。老婆には、ウキが付いているから、僕は、翌日の朝、ウキを頼りに力尽きた老婆を回収する。そういう仕事をして、日銭を稼ぐ。 軽トラの荷台に老婆を乗せる。老婆は煙草を吸っていた。わかばを吸っていた。 木の上から降りられなくなった老婆を、抱えて下まで降りる。ぬかるんだ地面のせいで、白
僕は道に迷った老婆に、親切な顔をして近づいて、そのまま老婆を背負いこみ、家に連れて帰る。ベランダの物干竿に、洗濯ばさみで固定して、数日、ほったらかしておく。老婆は干からびる。僕は、天日干しになった老婆を、フードプロセッサーにかけて、粉にして、タッパーに保存する。味噌汁に入れたり、煮物の出汁にしたりして、食べる。細かくしすぎないことがコツ。1つの老婆の天日干しで、だいたい2週間は料理にいろいろと使える。万能な粉。使い切ったら、新しい老婆を探しに行けばいい。
明日、朝起きたらナンとプリンをつくろうと考えながら、寝る。本当はオーブンレンジがあれば、ナンもプリンもさくっと作れるけど、ナンは1枚ずつフライパンで焼くし、プリンも鍋で蒸す。プリンは作ったことがない。卵が冷蔵庫の中で、1パック丸々そのままになっているから、それを何とか消費したいなと考えていて、プリンにしたらいいんじゃないかと思い至った。固いプリンになるといいな。どうせお昼前に起きて、こんなことをもちゃもちゃやっている間に日が暮れるんだろう。
朝、時間がなくて、駅の東武ストアでおにぎり、パン、お茶、小さい紙パックのオレンジジュースを買って、バイトに行った。 今日は、何か月か滞っていた会社のホームページとSNSの更新をした。ひたすら夕方までやり続けた。 家に帰ってから20時過ぎまで、布団の上でだらだらした。昨日作ったなす、長ネギ、しいたけの味噌汁を温めて飲んだ。昨日の残りのスパゲティに味噌に漬けてから焼いた鶏もも肉とピーマンとか適当に炒めた野菜を和えて、ケチャップでナポリタンぽくして食べた。4個パックのヨーグルト
彼女は、古いホテルの狭いシングルルームのベッドに腰掛けていた。膝をぴったりと揃えた彼女の足先には、黒い靴下が脱ぎ捨てられている。 男は大きな頭にシルクハットを被っていた。男は、彼女の額に銃口を向けている。男の足元には、ぐったりと力の抜けた老婆が横たわっていて、男は「お前もこうなりたくなければ、奴の居場所を吐け」とセリフめいたことを言う。 彼女は、男の銃口を見つめながら、何か呟く。何かセリフめいたことを。 彼女がこの旅行用に買ったトランクの中には、2日分の着替えが入ってい
蝉が遠くで、人間からは毒素が出ていると噂していた。ベランダに、死んだ蝉が寝ていて、僕は、それをバケツに汲んだ水で排水溝に流した。流れ着いた先で幸せになってほしい。 空腹でめまいがする。飛んだ先には、山があるような気がする。僕は飛んでいた? ☆ 蝉が空を飛びまわりながら、人間は毒素をばらまく装置だと話していた。そう僕に教えてくれた親切な蝉がいた。その蝉は、車にはねられて、死んだ。僕は、葬儀を開いてあげるお金を持っていないから、死体をその場に放置した。蝉は、きっと粉になる。
2週間くらい何も書いていなかった。何か書きたいなーと思いつつ、何も書かずに過ごしていた。特に書くこともないので、久しぶりに日記を書いてみる。最近は、あんまり気軽に書けていなかった。なんか、気合を入れて書こうとしていたので、書く気がどこかに行ってしまったのかもしれない。 朝、ふとんでぎりぎりまで横になって、シャワーを浴びてバイトに行った。いくつか作業をやった。ひとつの作業をずっとやる日もあれば、3つくらいの細かい作業をやる日もある。基本的には、いくつかの作業をやる日の方が、楽
スマートフォンのバイブ音で目を覚ました。夏の日差しをまともに浴びながら何のあてもなく外を三時間歩き、へとへとになって家に帰って来た。それから二時間くらい布団の上で寝ていた。僕は自分が寝ていたことに、スマートフォンが鳴って気が付いた。 「寝てた?」と電話口にあの子の声がした。 「寝てた」 「OK、ごはん行こ」 「うん」 僕は電話を切って、トイレに行く。尿が心なしかいつもより黄色い気がしたし、アンモニア臭がきついような気がした。疲れたんだろうか。大丈夫だろうとは思いつつ、あの子
「どいつもこいつもわかってないんだよ」 Tは寝ぼけ眼で宮益坂を下っていく僕の後ろ姿に向かってどなった。もう夜の10時を過ぎていた。 ほかの人に向かってどなったわけではなかったと思う。僕とTは、渋谷のミニシアターで映画を観て、宮益坂から渋谷駅に向かっていた。僕たちは映画館を出て、歩道橋を上って下りた。そこまで僕たちは何も話さず、何となく僕がTの一歩前を歩いていた。僕たちはごくたまに映画館に映画を観に行く。帰るころには、Tはいつもこうやって今観た映画についての文句を怒り混じり
僕の生まれた街は、街というには、あまりにも田畑が多すぎるかもしれない。 街は、とにかく田んぼで囲われていた。北側に利根川が流れていて、そこには大きな橋がいくつも架かっていた。そこだけが唯一田んぼを見ることなく街に入ることのできる道だった。他はすべて田んぼを突っ切るような形で道が作られており、長い田んぼを抜けることでしか街には入れないようなつくりになっていた。ほとんどの車はこの街を通過して、別の市に向かっていく。輸送用のトラックが頻繁に通行し、その間を縫うようにして街に住む人
ひどい夢を見た。実家が、地元の同級生の家族に売り払われる夢だった。その家族は、歯医者を経営していた。僕の実家は完全にリフォームされて、全く別の家になっていた。大きな、大人10人くらいは入れそうな湯船とシングルサイズくらいのベッドが一緒に風呂場に置かれていた。すべて人様の物になった家の中で、母がまだその家にひとりで暮らしていた。その家には母しかいなかった。所有権は、その歯医者の家族に移っているはずなのに、住んでいるのは母だけだった。 ここで場面が切り替わる。僕と母は、もともと
朝起きて、トイレに行く。母はまだ起きてこない。父はもう仕事に行った。僕は6時にセットしていた目覚まし時計を止めて、起き上がる。梯子を使って、ロフトからリビングに降りる。ロフトにすれば、家にかかる何かしらの税金が安くなると父だか母だかが話していて、僕は、親がこの家を建てるとき、自分の部屋はロフトでもいいと言った。ドアがないこと、部屋が閉じられないことが、これほどストレスになるとは想像していなかった。 リビングに降りると、ダイニングテーブルの上に雑誌が置いてあった。グラビアアイ
夏休みの宿題は、いつも最初の一週間で終わらせていた。母にそうすることを期待されていると思っていた。たしかに早く終わると楽ではあった。 結局、僕はいつまでも子どものままなんだと思うしかない。誰かに何か指令を与えてほしい、もしくは行動の許可でもいい。とにかく僕の次の行動を指定してほしい。そうじゃなきゃ動けない。 でも全部の行動が誰かによって決められていたわけじゃない。そこからはみ出るものがたしかにある。それが僕なのかもしれない。そこに僕がいるのかもしれない。 子どもの時は、
大学の同期の結婚式で余興をすることになった。久々に同期の男4人で集まって話し合った結果、何かしらのダンスをすることに決まった。僕以外の3人は、大学のサークル活動でダンスをやっていたので、そういうのは得意らしい。僕は、高校の文化祭で、当時流行っていたドラマの主題歌に合わせてダンスをするという出し物に、仕方なく参加したのが最後のダンスだった。もう10年以上は踊っていない。 人前で踊るなんて、そんな恥ずかしいことできない、と思ってしまう。体育の恥ずかしさに似ている。できないことを
子どものとき、多分小学校の5年生頃、小説家になることを考えたことがある。ほんの一瞬のことだったような気がする。瞬間的に、あ、小説家になってみたい、と思って、また次の瞬間には、何か別のことを考えていた。そのくらいのことだったような気がする。実際には、よく覚えていない。当時住んでいたアパートにいたのか、それとも学校にいたのか、どこで何をしている時の記憶なのかもあいまいで思い出せない。記憶と呼べるほど立派なものでもない気がする。何かのちょっとした刺激と言うのか、電気信号が頭の中を駆
田舎にいても寂しくなかったころに戻りたい。今は、もう地元に帰ったら何もなくて、寂しくなっちゃう。あそこで暮らすのは結構難しい。車もなきゃ生活できないし。 子どもの頃は、どうして寂しくなかったんだろう。家の周りは、畑とか田んぼばっかりで、遊びに行くような場所もなかったのに、寂しいと思ったことはなかった。今、あの時住んでいた家に戻ったら、寂しくて不安で発狂しちゃうと思う。田舎に行くのも怖い。 就活を少しだけやっている。少ししかやってないのに、すごく疲れる。就活しなきゃ会わなか