《匿名インタビューエッセイ》vol.02:女神のポーズ
初めて彼女と出会ったときのことを、今でも覚えている。
自治体が開催するママ向け講座で配られた紙には「1年後」「5年後」「10年後」の文字と、少し広すぎやしませんか?という余白。
やりたいこと?そんなものないけど?母親になってそんなものある人いる?
〇年後の家族の年齢だけを書いて1分で終えてしまった私の隣のテーブルで、彼女は時間いっぱいスペースいっぱいにペンを走らせ「10年後:オーストラリアに移住!」と書いていた。
弾ける笑顔、緑色の髪の毛、大ぶりのピアス、臆せず自分の夢を語るその姿に「自分の人生を生きている」「やりたいことがある」側の人って都市伝説じゃなくて実在するんだ、そう思った。
かっけえ。
九州の田舎で生まれ育った。これといって大きな挫折も苦労もなかったが、ずっとモヤモヤしたものを抱えていた。と、今になって振り返って気づく。
自分には自信があるし自己肯定感は高いほうだ。
できる!って思える。
でも、何が?
勉強が好きな優等生だった姉のように「私にはこれだ!」というものが欲しかったのかもしれない。親も「あなたには美術があるじゃない」と認めてくれていたのに、姉からひどい言葉をかけられた訳でもないのに、1人で勝手に張り合っていた。
中学校は暗黒時代だ。といっても、いじめにあったり不登校になったわけではない。背が少し高いことや容姿が気になり始め、一向に上がらない成績にも自分で自分に嫌気がさした。
一転、高校時代は友人に恵まれてとても楽しく、今でも交友関係が続いている。簿記や英検、漢検、管理栄養士など、とにかく資格を取得しまくった。
でもなかなか「コレ!」は見つからない。
地元で事務員として就職してすぐに「ここじゃないところへ行きたい」の思いがむくむくと芽生えた。大阪じゃない、東京じゃない、北海道や沖縄でもない。知り合いがいない、では足りない。日本人が1人もいないところで、言葉がまるで通じないところに身一つで飛び込んだら私は友達を作れるのかな?カナダにしようかな。あぁでも寒そうだからパス。あったかそうなところ。オーストラリアはどうだろう。うんうん良さそうだ。オーストラリアに行こう。
そう心に決めてから、実際に彼女がオーストラリアへワーホリに行くのは3年後のこと。
「自分に自信はあるんだよね、謎に。でも決めてから行動に移すまでが遅いんだよ~。なんでだろう?」
意外だった。彼女のような陽のオーラを放つ人って行動力の塊じゃないのか。
否、行動力はあるのだ。思い立ったらすぐ行動!という瞬発力はないけれども、決めたからには絶対に実行するのが彼女だ。
英語もままならないままバックパッカーとして飛び込んだオーストラリア。スマホも普及していない時代に、宿を探し、仕事を探し、日々どうにか生きていった。自分のことを考えよう、そう思っていたはずだったのに、明日どころか今日を生きるので精いっぱいだった。
ランゲージエクスチェンジのコミュニティでインドネシア人の速すぎる英語に困惑する彼女に「彼の英語はリスニングの練習だと思って聞き流せばいいから」と言ってくれた優しい男性が、彼女の生涯のパートナーとなる。
帰国後少しの遠距離恋愛ののち、結婚した。
アートには関心があるし絵は好きだ。吹奏楽部で演奏していたホルンは今も年に2回ほど演奏会を開くような団体に所属して吹いている。コーヒーも豆から挽いて飲むし、国内外問わず旅行も行きたい。
でもなんだかしっくりこない。
何者かになりたい、というほどではない。
ただただ私にとってのコレ!がほしいのだ。
ヨガのインストラクターの資格取得を始めたころからだろうか。少しずつ「自分」について考える時間が増えていった。アファメーションや瞑想というものを知り、ひとつずつ取り入れていくと、自分の心がほぐれていくのを感じた。
今あるものに感謝する、自分ができることに目を向ける。
あれ?もしかして結構幸せなのかも?
子どもが生まれてからは地域のコミュニティに積極的に参加し、取得していた資格を活かしてヨガ講師やカラーセラピストの活動もした。
母親としての時間が増えても、彼女は自分の愛称で呼ばれることが圧倒的に多い。
彼女の前では不思議と「自分」のことを話したくなる。
思い切って打ち明けたら、まるっと受け入れてくれそうな気がするし、実際に受け入れてくれる。
「え~!そうなんだ!いいじゃんいいじゃん!!」
そう彼女に背中を押してほしくて話す人も少なくないはずだ。
「10年後:オーストラリアに移住!」と書いてすぐのころ彼女から教えてもらった両手足を大きく広げるヨガのポーズは「すべての愛を受け入れる」というものだった。
それを今も鮮明に覚えているのは、あまりにも彼女に似合っていたからかもしれない。
コレ!がなくたって、彼女は充分に魅力的だ。
カラっとした清々しさとオープンで表裏の無い感じ、好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、楽しい時にはあっはっはー!と笑って、嫌なことがあったらムキー!っと怒る。
自分の意思を尊重し続けてきたから、自分の表現に迷いがない。
それが他者に押し付けるものではないから、他人の意見も否定しない。
彼女が今なにをしてみたいか聞いてみた。
「今は瞑想の講座をやってみようかなあって思うの!人集まるかなあ?」
ヨガよりもスピリチュアルな要素が強い瞑想は、初心者にはハードルが高い。そのまま瞑想の道を極めるのか、はたまた全然違う道に進むのかも分からない。
それは彼女自身にも分からないが、とりあえずやってみるのだ。
でも、彼女ならきっと大丈夫。
そう思わせてくれる笑顔の彼女に手を振り、私たちはカフェを出た。
《匿名インタビューエッセイ》とは?
どこかのいつかの誰かの話。
主人公が匿名のインタビュー記事。
オリジナルでスペシャルな誰かの人生を、アヤノ色でエッセイに。