『怪物』『インサイドヘッド2』から自分の正義を考える(ネタバレあり)
台湾までのフライト時間は3~4時間。
とは言いながら、子どもたちのケアをしたりCAさんや機長からのアナウンスや機内食のタイミングがあったりで、
台湾までの往路では『怪物』をギリギリ見終えて、
台湾からの帰路は『インサイドヘッド2』を見終えたところで着陸体勢に入った。
『怪物』
10歳11歳くらいの子たちの美しいボーイズラブ。
というレビューを映画館での上映当時に見聞きしていたの。
別にBLは好きじゃないし(でもネトフリのthe BOYFRIENDは良かったよねほんと)、特に子どもを性的搾取している様子を感じると気持ち悪くなってしまう。
でもそのレビューを知ってるから、期待してしまうじゃない?
いつ始まるのかな~ミナトと星川くんの美しい恋愛模様は、と。
と思ってたら終わった。
え、あ、まさかあのシーンがそれだったのかな?
ひとつの作品から人が受ける印象って本当に様々なんだなと思いましたね。
解説があって助かることも多いけど、解説を聞いてしまうと自分にとっての正解がそれになってしまうことの危うさ。
私、あのレビューがなければあれがBLだとは思わなかったよ。まったく、思わなかったと思う。
気づかなかった、に近いかもしれない。
男子に限らず女子にもあれくらいに訪れる、友達って?仲良しって?好きって?の葛藤のひとつにしか感じなかった。
そんなことよりも。
同じシーンを違う主観で捉えると、それぞれの人物をより知っていけばいくほど、人の言葉や行動の持つ意味がこんなにも違うものなのだなと感じた。
最初は絶対あの瑛太が悪いやん!クソ教師が!救いよう無し!
って思ったら生徒想いの普通の先生だし、
あ、じゃあミナトだ!ミナトが狂わせてる!って思ったら、ただの普通の思春期の入り口に戸惑ってるだけだった。
安藤サクラがやばい親に見えるときもあるし、いや難しい。
帰路で観た『インサイドヘッド2』。
1ではヨロコビこそ感情たちのリーダーとして相応しい感じがした。
カナシミの良さも見つけて独りよがりな感じが無くなってよかったなって。
それが、ライリーが思春期に差し掛かった2では、ヨロコビたちがいかに幼稚で先のことを考えられていないか。
彼女たちの無垢で無神経な様子にこちらの共感性羞恥がゾワゾワする。
突如現れたシンパイは、中1の5月まで天下を取るくらいのカリスマ性を見せる。
おおイイやつ来たやん!頼むぜーって思ったらオヤオヤという失速。
やはり独りよがりで周りのことが視えてないなって思えてしまう。
(シンパイの英名はAnxiety。映画を観ながら「心配って感じじゃないけどな」と思ったら、やっぱり懸念とか将来を憂うとかそういうニュアンスね。)
台湾の行きと帰り。
たまたま観たかった『怪物』と『インサイドヘッド2』を観ることができたんだけど、私はこの2つに強烈に共通点を感じた。
自分にとっての正義・正解が、必ずしもGOODではないということ。
何か違和感を感じたときに、すぐ身近な人にヘルプを求めたほうがよいこと。
いろんな価値観を許容すること。
いま大切なものを見極める力と、それだけを見ないようにするバランス。
インサイドヘッド1を観てから育児がやりやすくなったところもあるので、是非とも2も子どもたちと共有したい。
(観たと思ってたら長女が機内でも1観ててシンパイの話が全然通じなかった。)