自分の作品が不人気だったら?私は恥ずかしくてしょうがない一択なんだが??
衝撃が走った本日のVoicy。
毎度お馴染み、みーんな大好き尾石晴さんのこちらの放送。
ほっこりにっこりできるから是非聴いてみてほしいんだけど、概要は以下。
・晴さんの小2(7歳)次男くんが、図工で小1さん向けにおもちゃを作ることになった。
・当初はガチャガチャを作ると息巻いていたが、途中で迷路に変えたらしい。
・小1さんへのお披露目の日、どうだった?と尋ねると「誰も来なかった」とのこと。
・作品を見せてもらうと、路線変更(ガチャガチャ→迷路)したこともありちょっと所々甘いところもあり、色も地味、確かにこれでは小1さんの心も動かないだろうな、と晴さんは思った。
・お母さんがやるね、とどうにかゴールすると、次男くんは手に持っていたお手製のタンバリンのようなものを鳴らしながら「ゴールおめでとうダンス」を踊ってくれた。(ココとんでもなく可愛いよね)
・誰もこなかったお披露目会の間、次男くんはどうしてたの?と晴さんが尋ねると「閉店してた。そして大盛況の隣のスズキさん(仮名)のところを手伝ってタンバリンで盛り上げてた」とのこと。(なにそれ最高)
・晴さんが「私だったら、誰も来ない間に迷路を改良するだろうな」と思ったらしい。(そうなの?)
・また、「次男と性格が違う長男だったら、誰も来なくても全く気にしないだろうな。と思っている」とのこと。(え?そうなの??)
後半。
太字強調した後半の部分ですよ。
みなさんだったらどう?
私だったら、誰も来ないなんて恥ずかしくて仕方がない。
その一択なんですけど。
目の前の作品が、自分のものではないことにできないかと必死に言い訳したり隠したい。
なんならわざと壊して「あれ?壊れちゃったなあ」とか誰も聞いてないのに独り言をいいながら無かったことにしちゃう。
子どものころだったら確実にやってた。
し、今でも心情としては同じ。
小1さんに当たる人たちが全く面識も無い人だったら時が経つのを待てるけど、まさに同じ小学校くらいの顔名前知りな仲の人たちだったら耐えられない。
恥ずかしくて恥ずかしくて震える~。
それって何故なんだろう?
どうやらみんな恥ずかしいわけじゃないみたい。
というか、恥ずかしい、という感覚って意外と少数派なの?
(少なくと晴さん、晴さんの息子くんたちには生まれてない感情のよう。)
考えてみた。
そもそも自分の作品に何の愛着も自信も持てない。
↓ なぜ?
だって、今回のテーマで無くても、私の創作=見る人がポジティブに私を評価するためのものだから。
↓ さらになぜ?
私が何かを作り出すときの目的=他人からの評価を得るためだから
↓ つまり?
他人からの評価がすべてだから
やっぱり、ここに落ち着くよね。
noteを始めてようやく「自分がやりたくてやること」「ついやってしまうこと」に出会えたわけだけど、私の色々な行動の原動力とモチベーションは往々にして「他人からの評価」である。
私が自分で何かの良し悪しを判断したことなんてない。ほぼない。
みんなはどう思うのか、それが全て。
世間的に、一般的に、どうか。
それが大切。
偏差値教育の申し子こと私です!!!
私がゼロイチのクリエイティブ活動が苦手だということを差し置いても、やはり上記に帰結する。
自分の心が動くこと、自分がどう思うかが大切だよ!って言い聞かせて数年。
そろそろ自分の良し悪しで動けるようになってきたな~って思い上がってたけど、今日の放送で突きつけられた全然変わってない根本。
まだまだ変われてないみたい。
三つ子の魂百までだよね。
なかなか簡単にはいきませんわ。
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