私にとっての書くこと。深夜2時、台北にて。
台湾旅行から帰国した当日から13日連続でアップしてきた台湾旅行記事。
ようやくのひと段落です。
お付き合いくださいましてありがとうございます。
帰国当日から13日連続投稿とか正気の沙汰じゃないなと思われた方もいらっしゃるでしょう、ええ、ええ、分かります。
実は6つ目までストックあったんです。
台湾旅行中に6個記事書き貯めしてたんです私。
台湾2日目。
初日の移動の疲れも取れ切らぬうち、朝から晩まで歩いて食べてで心身ともにドッと疲れているはずなのに、全然眠れない。
身体は疲れてる。
でも頭が…冴えて、はない。
なんだか変な高揚感があって、それでいて混沌としている。
ぐるぐるというかぐちゃぐちゃというか。
ああ楽しい、という感情と、なんともいえないモヤモヤというかモッサリした感じが頭の中にある。
まあ旅行中だもんな、興奮してるんだろうな。
と思ってどうにか眠るのを待とうと思ったんだけど、ハッと気づいた。
そのままガバッと起き上って…というほど体力は残っておらず、旅先では手の届くところに置いていたスマホを引き寄せてポチポチした。
気づいたら1000文字程度のメモが6つ出来上がっていた。
記事案メモには残りの5個がタイトルだけ書いてあって、7つめを書き始めたあたりで急に指のタップが失速して瞼が重くなってきた。
ふう。
と思ってスマホをベッドサイドに置いて、はあ~っと、そのまま眠った。
帰国後にnoteに貼り付けて、3・4日目に関する追記や手直しはしたけれど、
あの夜に書いたこと、実はあんまり修正してない。
まさにゾーンに入った。
書き出したら無心で、うわああああっと言葉が溢れて指が止まらなかった。
書いていくうちに、頭の混沌が落ち着いてスッキリしていくのが分かった。
混沌としてたとき、別に言いたいことや言葉が溢れてるなって感じはしなかったのに、出し始めたら言葉だったんだねと気づいた。
帰国後に見返して「これを6つも深夜にスマホで書ききるのやば」と自分のことながらやや引いたところで思い至る。
私がnoteを始めたきっかけはインスタのキャプション長すぎ問題に端を欲するのだが。
私がnoteを手に入れるまで、
旅行やお出かけをした記録や思い出をインスタにまず上げていた。
思いが溢れてしまって、キャプションは自然と長くなる。
写真の編集なんかよりもキャプションの熟考時間がとんでもなく長い。
「私って自分の生活をそんなに自慢したいのかな」
「自己顕示欲の塊なのだろうか」
と落ち込んだことも少なくない。
でもフォロワーは2桁だし、バズりたいとは思わない。誹謗中傷こわすぎ。
noteを始めて無暗にフォローしまくった時期・コンテスト系にとにかく応募しまくった時期もあったけど、なんか違うなって思った。
バズる文章・入選する文章が書きたいんじゃない。
自分が書きたいように書きたいのよ。
そのためにnoteを始めたんじゃい!!
今回の台北旅行を経て、
私ってもしかして、
文章にアウトプットすることで何かを発散しているのでは…?
と思い至った。
今更だねえ。
例えば旅などで高揚した気持ち。
例えば子どもたちの成長を見たときの感動。
例えば全く関係なさそうな2つに共通点を見つけたときのアハ。
子どもたちのねえねえ聞いて!に近い。
目立ちたいわけじゃない。
聞いて欲しいわけじゃない。聞いてくれたら嬉しいけど。
ただただ自分が見たもの思ったことを言葉にしたいだけ。
その場が私には必要なんだと。
身体が泥のように疲れてても目がギンギンになってるときに、まさか文章をアウトプットすることでcalm downしていくとは思ってなかった。
私にとって書くことは、一つの欲を満たす行為である。
ということだね。
そう思うと、インスタという場をこれまで持っていてよかった。
今も持っているけど、前ほど投稿したいと思わなくなったのはそのせい。
noteがあってよかった。
ありがたいプラットフォームですよ本当に。
そんな気づきも得られた今回の旅行。
私にとっても大きな大きな経験となりました。