母の表面的な共感より6歳長女の精神的発達のほうが数段深かった話
子どもが兄弟げんかで泣き出した時、親としては「勘弁して、、、」と思いつつ、どう対応したものか途方に暮れますが、先日の姉妹げんかの後、長女が言葉にしてくれた気持ちにものすごく反省させられたのでメモしておきます。
日本人の集まった、とあるピクニックでのフリーマーケットで長女がタコのぬいぐるみに一目ぼれしました。値段は100円ほどで、即決して購入。小学校の同じクラスの子が持っているのと色違いで、欲しかったものが見つかってとてもうれしかったそうです。他にもいろいろなおもちゃを買った後、お昼を食べながら私はいろいろな人とのおしゃべりを楽しんでいました。
時間は午後2時ごろ、久しぶりに会った友達と話がはずんでいたところに、長女の号泣。姉妹に目をやると、5歳次女がタコのぬいぐるみを持っています。「ああ、またおもちゃの取り合いか...。もともと1つしかないし、おもちゃはシェアしてねと言ってるのになぁ」とうんざりしつつ、「どうしたの?」と聞いてみました。
長女:「次女がタコを取った!!」 私:「そうだね、買ったのは長女だもんね。次女ちゃん、返してくれる?」 次女:「(ふくれっ面)」
次女はぬいぐるみを返さず、力づくで取れば、力づくで取ることを教えることになるので説得しつつも事態はそのまま。なんとか泣き止んでほしいと思った私は、長女の気持ちを想像して「長女が見つけたタコだもんね、取られちゃったら悔しいよね。嫌な気持ちなんだよね。」と話しかけますが、長女の号泣は10分以上続きます。
疲れ切った夫と私は帰路に着くことに。夫が自家用車を公園の出口に運んで来る間、泣きじゃくる20kg近い長女を抱っこしながら出口まで歩きます。内心、「もっと友達と話したかった。お昼寝ももうしないし、小学生になったらもう少し自立してくれると思ったのに、これじゃ赤ちゃんより手がかかる。」と思いつつ。ようやく夫が到着して子どもたちを車に入れたものの、長女は床で泣き崩れていてチャイルドシートにも座らせられません。
とにかく何が原因で泣いているのか聞こうと、「長女ちゃん、何でもいいからどんな気持ちか教えて」と話しかけると、3分ほどしてから長女が荒い呼吸と共に発したのはこんな言葉でした。
「み゛んな゛で な゛がよ゛ぐ あ゛ぞびだいのに でぎな゛いっ」
「『がして』どが、 な゛んに゛も゛ い゛わ゛な゛い゛っ」
→「みんなで仲良く遊びたいのにできない。(妹は)『貸して』とか、何にも言わない。」
泣きながらではあったけれど、ハッキリとした日本語でこれを聞いた時、頭を殴られたような衝撃を受けました。「おもちゃを取られた感情を『悔しい』『嫌な気持ち』と言語化してあげればいい」と思っていた自分の共感力よりも、「大切なおもちゃを無断で取られ、『年長者として妹と仲良く遊ぶ』という役割期待は理解していても、それに応えられない自分への葛藤」という長女の精神的発達のほうが数段深く、自分が表面しか見ていなかったことに恥ずかしさを感じたからです。
見た目はタコのぬいぐるみですが、長女にとっては大切な掘り出し物。大人の世界で例えて言うなら、買ったばかりの限定車に妹が勝手に乗っていたとか、手に入れたばかりのヴィンテージジュエリーを断りもなく妹が身につけていたとかでしょうか。怒らないで、というのは大人でも難しい気がします。
即座に「そうだね、そうだね、本当だね、本当は仲良く遊びたいんだけど、『貸して』とか言われなくて勝手に使われたら嫌な気持ちになるよね。本当にそうだね。あなたの気持ちは正しいよ、言ってくれてありがとう」と返すと、やっと号泣は止まりました。
それからチャイルドシートに長女を座らせ、車が走り始めて5分ぐらいした後、次女が突然、「ママー かしてっていわなくて ごめんねー」と口にしました。
とりあえず長女が泣き止んだことで気が抜けていたのですが、一連のやり取りを横で見ていた次女も何か考えるところがあったようです。「そうだね、今度から貸してって言えたら、長女ちゃんもいやな気持ちにならないよね~ 気がついてえらいね~」と返しました。
いつもだったら、長女に「いつまで泣いてるの、もういい加減にして!」と言ってしまうところでしたが、臨床心理士の大河原美以さんの『ちゃんと泣ける子に育てよう 親には子どもの感情を育てる義務がある』という本を読んだばかりだったので、長女の気持ちを聞こうと努めてみました。https://www.amazon.co.jp/gp/product/B01MG1SU5D/ref=ppx_yo_dt_b_d_asin_title_o02?ie=UTF8&psc=1
余談ですが、「~したい」という表現の時、ヘブライ語では「~するのがほしい= I want to do ~」という動詞を使った文法になるので、長女は時々「XXするのがほしい」という言い方をします。「『ママが~するのがほしい』=ママに~してほしい」など。イスラエルで育つ子どもたちにとって、へブライ語、英語、日本語が入り混じる思考の成長過程の中で、今回長女が自分を主語にして、自分の気持ちを日本語で表してくれたのは、頼もしくすら思えました。
もし、長女の感情を表出させずに上から押し込めていたら、長女の心の成長にも気付けなかったし、次女が自分を振り返る契機もなかったと思います。今回、長女が自分の気持ちを表現してくれて本当にありがたいと思いました。