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あれと私 『コーヒー以外、邪魔!』
こんにちは。
前回は、熱い気持ちが出てしまいました。
恥ずかしい…。
そんな前回の文章はこちら。
今回は、『コーヒー以外すべてが邪魔な存在』について。
簡単に言うと、
「目の前のコーヒーに集中して!」です。
烏滸がましいです。分かってます。
だけど今回は、本題から少しそれて、
私のジレンマについて書きます。
タイトル変更。『ジレンマとエゴ』
烏滸がましいことを言ってしまうくらい、
コーヒーには魅力があります。
「はい、集中して!」
という学校のような言葉かけではなく、
コーヒーをありのまま感じてもらいたい。
寄り添いたい。
補足すると、
コーヒーを飲む人が、
事前情報としての言葉を入れてから味わい、
その通りに感じることを正とするのではなく、
先入観なしでコーヒーを味わって、
ありのままを感じてほしい。
だけど、それは少し難しいことだと思っている。
知識がないと、何も出てこない。
「うーん、美味しい…んじゃないかな…」
みたいに。
だから、やはり情報としての言葉も必要…。
理想は、寄り添いの言葉(情報)を授けたい。
今更ではあるが、
言葉とは、情報である。
コーヒーにおいてはそう定義しようかと。
生産国、農園、品種、精製処理…。
これは、情報。
では、味わいを感じるために、情報は必要か?
難しい。必要かもしれないし、
いらないかもしれない。
私の個人的な感覚としては、
情報はいらない。だって、正解はないから。
何を言ったって正解。全部正解。
だけど、コーヒー屋としては情報を伝えたい。
できるだけ細かく、たくさん。
だけど、伝えっぱなしだと、
それはもうコーヒー屋のエゴだと思ってしまう。
『情報提供量とエゴ』
タイトルこっちの方がいいかも。
「伝えたいけどそれは私のエゴなのか?」
「先入観の植え付けになるのではないか?」
ということが、
『コーヒー以外すべてが邪魔な存在』
について話す前にお伝えしたいことでした。
なんか小難しい話になってしまいました。
では、次はこの気持ちを持ちながら
お話を進めていきます。
オンラインショップはもう覗きました?
ではまた。
No Noise Coffee Roastery "私" より