見出し画像

聞くと話すのバランス

皆さんは聞き役ですか?それとも話し役?
人間関係において、どちらの配分が多いでしょうか。

私は聞き役が多かった子供時代を過ごしてきて、いま猛烈に自分のことを話したいという気持ちが前へ前へと押し出してきております。

というのも、昔馴染みの友人と会うと、必ず当時のように聞き役に徹することになり、相手の趣味や悩み、自慢話など私と相手2:8くらいの割合で話をしていて、知らぬ間に疲れ果てていたということが何度も起こったのです。
あれ?昔は疲れるなんてことなかったのになぁと。むしろ色んな話が聞けて、私は話す話題もないしなんて思っていたので。

この現象は人生経験を経て、ようやく自我が芽生えたからかもしれません。これは革命です。
こうやってnoteを書くようになったのも、自己表現がしたいと思ったからで、今こうやって私が思っていることをつらつらと書いているのも、そんな自我の暴走のような気がします。

子供の頃は、家族の思い出みたいなものが乏しく、長らくネット環境が整備されていなかったこともあり、友達から色んな世界を教えてもらうことが多かった。そんな楽しい世界があるんだと。人に感化されまくって、話を聞きまくって楽しんでいた。

それが大人になって自分で選択する機会が増えていく度に、私はこう!というものが出来上がってきました。
だから、他人に昔ほど興味を持てなくなったのです。私の興味の軸がある程度分類されてきて、どうでもいいなーと思うことも増えてきたので、改めて話を一方的に聞くってこんなにしんどいことだったのか!と気づきました。

そして、私を含め、大人になると、皆もっともっと自分の話をしたくなるものです。SNSで発信だけじゃ物足りない。酔っていたら尚更、自分史なんか語っちゃいます。(私も振り返って、やっちゃった~と思うことがあります...)
だからこそ、「傾聴力」なんてものが重宝されるんでしょうね。

世の聞き役の皆様、そして私の話をじっくり聞いてくれている人たちに、この場を借りて感謝を申し上げます。
本当にいつもありがとう!!!!!じゃ足りねぇ!!!!くらいにありがとう。

何だか本題から少しずれたので、戻します。
そう、私は言いたかったのは、聞くと話すのバランスを考えて生きていかないと、知らぬ間に相手を干からびさせてしまうなぁということでした。
今回、私の「人の話ってずっと聞いてたらこんなに疲れるんだ!」の経験を通して、私って聞き役だし(キラン)と思っていた自身を振り返りました。いや待てよ?相手があくびを必死に我慢しながら私のながーーい話聞いてくれてた時あったわ!と思い出したのです(やっちまってた)。

聞いてくれること自体って、自分が聞き役な時を考えると、すごくエネルギーを使うんですよね。相手の気持ちを想像して空気を壊さないように、楽しめるように言葉を選んで相づちを打つ。対して話す側はプロでない限り、自分が話したいように話すことが多いわけで(中にはずっとあなたは話し手でいてくださいくらい面白い人もいるけれど)、言いたいこと言えてすっきりするんですよね。そして、相手が気持ち良く聞いてくれたりなんかしたら尚更、欲求が満たされるわけです。
だから、一対一や少数の集まりでの話し役に対して、聞き役ってハードすぎる。

だから、お互いが疲れないように、聞き役と話し役をうまく選手交代することって本当にコミュニケーションで大事だなと改めて感じました。
あ、喋りすぎた!と思ったら、どうぞ!と話を振る。相手の近況を聞いてみる。そこで、「私はね~」なんて会話泥棒しそうになったら、待ったをかける(セルフでお願いします)。
本当に聞いてほしい時は、前もって「ちょっと長くなるんだけど」とか、最後に「聞いてくれてありがとう」を伝える。聞いてくれるのを当たり前に思っちゃいけない。親しき仲にも礼儀ありというやつですね。
相手が会話泥棒だったら、、、ん~ちょっと勇気を出して戻してみるか、適当に相づち打ってこちらのエネルギー消費を抑える。この辺は私が今抱え込み中の案件なので、まだ対策は考えられてません。

とにかくやっぱりコミュニケーションってキャッチボールだから、私が球を取りまくってないか、投げまくってないかを振り返ってみるのが、お互い疲れない関係を作る秘訣なのだなと思います。当たり前そうで、意外とできてなかったりすること。

あ、相手が投げまくってくる人なら、ホームラン目掛けてバット振り上げちゃいますか?
いや、それはちょっと横暴かな。

じゃあ、今日はこの辺で。


いいなと思ったら応援しよう!