見出し画像

僕には主語が無いが、お前には思慮が無い 

他人や社会に「依存」してまで生きる事に意味など無い気がする。

「生きている事に(生きているだけで)意味がある」

というのは他人事だからだ。

・・俺は死んだ方がいい。

いつか、だけど、そのいつかを笑って話せる日は、今ではない。

「生きていても良い事は(もう)無い」

と。少しだけ冷静になれた自分でも、まだ言っている。

馬鹿だなと思う自分が半分。
それ以上は言うなと言っている自分が半分。

・・

生きているだけで価値があるなんてのは綺麗事、偽善以前の話だ。
今が地獄の人に、生きていれば良いことがある、生きているだけでいいんだよ、なんて僕は言えない。

・・

今この有象無象で成り立っている社会は凄い事だと思う。
そもそも、人間だから生きてる価値とか社会とか他人の事を考える訳で。

他の動物に、人間と同じような社会性や知能を求めるのは変な話。

犬や猫が仕事に行って、学校や会社があって、家を構えて、お金のやりくりして、近所付き合いして。挨拶や社交辞令や悪口を言いながら家に帰って、晩酌や次の日の支度や準備する訳がない。

でも、おもしろいな。

犬が普通に人間と同じ行動していらた。
社会を形成して、道具使いこなして、産業や文化形成していたら。

そう考えると、やっぱり人間の知能や能力は凄いと思う。

人間が最初に火を起こした(使った)事も凄いけど。
それは、何千年前なんだろう。

そんなことを考えていたら、死ねない事や、死にたいと、悩むのは馬鹿だなと思う。けど、馬鹿だから、気が付かないのだ。

・・

僕は心のコントロールが下手で、歪なのだと思う。

心の補強が上手いと言われる部分には心当たりがある。

心が膿む。でも、これもいずれは慣れ、馴染むのだろう。

だから、大丈夫なのだ。こうやって人は生きている。

みなが全部、同じだとは言わない。
絶対に違うけれど。
みんな色々あるけど、生きているのだ。

ありきたりな言葉になってしまうが、みんな同じだとは絶対に言わないし言われたくもない。

人はボロボロになりながらでも必死で生きている。

・・

自分がしたことで、相手方からすれば、それが不快であり心外なことがあると思う。

例えば。

冷蔵庫の中に消費期限がとっくに切れている物があったとして、それを見つけた僕が「消費期限過ぎてるやん」と言って捨てた後、家族の誰かがその捨てたものを探していたので「あれ、消費期限切れていたから捨てたよ」と言うと、それは相手によれば気分が悪くなると思うのです。

そこで
「何で勝手に捨てるの」
と怒った相手に対して
「だって消費期限切れていたし、腐ってたもん」
と返事するのは、僕は良くないと考えられるようになってきた。

そこで僕は、「なんでそんな事をするの」「何で勝手に捨てるの」という親に対して

「お前の言うとおりに、全員がすると思うな」

と僕は言ってしまうのです。

その僕の発言は良くないと思います。

でも、僕も外の世界や普段から、他人の物を勝手に捨てるだの、どうするだのと判断しません。そんな余計な事はしません。

もしそれが、捨てたほうが良いのかな?、と思えば

「これ、消費期限過ぎてるぴよ。捨ててもいいたんか?」

と聞きます。わかる?
僕はそういう言葉を使うし、そういう、まだまだ足りない至らない人間であるという事は自分でも重々理解しています。

・・

宝くじが気になっていた。
僕はもう宝くじすら考えるのが辛い。

僕は昔、一万円のスクラッチくじが当たり、それを大事に保管していた。

それを二年前にまず最初に現金に換えて、他人を助ける為のお金にした。

音楽の機材も、パソコンも、質に流したと言うより、もうほとんど売ってしまったよ。そうやって金にしないと、彼女を一時的にでもなんとか救う方法が見つからなかった。

そもそも「そんな状況で良く助けたな」と言われるけど、そこを助けた事が悪い、自分だったらどうする、みたいな事を僕に言うのは的外れだと僕は言いたい。

ただただそいつが。当事者にもなっていない奴が。

「もし自分だったら」

と言っても、その「自分だったら」という想像力も無い奴が知ったような事を言うな。そうやって気持ちよく自分語りをしてんじゃねえよと僕は他人が僕に対して思っている。

・・
・・

僕が好きな人たち。
僕が尊敬するあいつ。
カッコいいわ、負けたくないわ、と思っている。

僕はその人たちに続く。
続けるように、必死だ。

これでも必死なんだよ。

お前ら、いや。

お前に何が解かるんだよ

 覚悟しろ。

・・

理由は、僕はやれる事はやった以外に以上に、僕がしたい事や伝えたい事は全て話し合いをした上で、僕はすべてを懸けたのだ。

だから、私は知らなかっただの関係ないだの、いうなよ。

僕は何度も連絡して話も説明もしていた。

結果、今そうして、のうのうと余裕かまして逃げてるのは同じ。
まあ、人間ってそういう生物だから、後で、とやかくぬかすなよ。

・・

10年後の僕らが2024年の今を振り返ると何て言うのだろう。
100年後の人達が今の僕らを振り返ると、僕らの存在なんて本当にちっぽけな存在だ。
1000年後には今の2024年なんてなんて説明されているのだろうね。
教科書とかでどう解説されているのだろうね。

・・
・・

150円引きのうどんを見て。

今の時代だけではない。

みんな、この前も、
「景気が悪いのはコロナのせいだ」
って必死になっていた人も。

表では泣きの芝居。
裏では笑いが止まらない。
コロナバブル、給付金、助成金、支援金バブル。
それくらい僕でも知っているよ。
僕は馬鹿だから準備が出来ていなかったからお金のチャンスは取り逃したのかもね。けど、コロナが無かったら僕は今に至らない。それに生きてい高もそこまで行けばもう解らないよね。

たられば、は、あまり意味が無いと僕は思っている。

だから人生は、すべては、時の運だと思う。思っている。
だから「たられば、みたいな話」は無意味で。
危険な可能性しかないと今は思う。

例が悪いかもしれないけど、宝くじは買わなければ当たらない。

けど、一等が当たる確率を考えた時、買えるか買えないか、買うか買わないか、それは本人次第。

当たれば良かったねと。

当たらなければ、それだけなのだ。

他にも、ここ10年の間で仮想通貨も、買うか買わないか、どこで買って、どのタイミングで売れば一番の最適解なのか。

そんなことは死ぬまで、死ぬ時になって、やっと「本人が」わかる事。

納得するしかない、自然な流れで事を済まして、生きていくのでしょう。

そして、死ぬのです。

人間なんて、人間なんて所詮、そんなもんです。

・・

どこかで聞いた話。

「私は○○やってた頃も、別に其れをしてるからって恥ずかしいとかは思ってないし、「30代なのにフリーターなの恥ずかしい」とは思った事ないかな」

「周りにどう思われて言われても、私の人生には1ミリも関係ないし。勝手に言ってればって思う、そんなの他人が勝手に恥ずかしがってろよって思ってたし。だからりょうた君は自分の人生を生きたらいいのよ」

・・

自分が正しいと思い込んで死んでいく人は、過信している人は。
振り返るきっかけがないから。反省や改善の道がない。

それでも生きていけるのが現実だからね。

忘れたくないよね。

・・
・・

親が風邪をひいている。

病院で薬を処方されているけど治らないし、咳が止まらずに困るという。
薬局で咳止めを買って飲むと止まるけど、処方薬と市販の咳止めか被ると良くないから、と言っていた。

その通りだなと思う。

そこで、ふと僕が

「何の咳止めを市販で飲むの?」

「液の奴、ブロン」

「ああ、おかんの時代と違うから大丈夫やと思うけど、ブロンな。」
「懐かしいんと違う?中島らも、も飲んでた奴やな」

「え、中島らも?」

「何で知らんの?」

「知らんもん。薬(ドラッグ)飲んでたんやろ」

「いや。ブロンも飲んでただろ。有名だろ」

「知らん」

こういうくだり。

僕は今までに発狂するくらい怒号を挙げていた。

母は「らもちゃん」というくらい中島らもが好きだと僕が幼少期から語っていた。

気持ちよさそうに文学少女を、偉そうに気取っていた。
色んな作家や作家を読んでいると偉そうに講釈垂れて語っていた。

それで、中島らも、を好きだと語っていたお前が、その程度の知識しか無い事に対して、「ふざけんな、殺してやる」と僕は怒るのだ。

この人は自分が好きな事は、好きな事だから知ってるという。

音楽も、今やっているオペラも、好きでやってる。

好きでやっている事に何の問題がある。
人が好きでしている事に良い悪いもあるか、と言いたがる。

僕が言いたいのはそこじゃない。

お前はやっぱり、中身が無い。

解ったように嬉し気に偉そうに講釈垂れて悦に入るけど。
お前は実は中身が無い。だから子供と同じ。

だから少女老婆も変わらずに今に至るんだろ。

お前が、家族に、怒号や発狂しながら自分の理解の強要。自分の価値観や自分の言う事が絶対、と。
押し付けていたお前の中身が、知識が、その程度の人間に僕の人生は殺されたのか、壊されていたのかと思うと「絶望」というより「絶叫」なのだ。

・・


その好きな物に対しての熱量や、それに比例して増えるはずの知識が、思慮がお前には無いんだよ。

だから僕は今になって、その事については怒り狂ってしまう。

こんなカラクリか、と。

最後に添えるなら。

お前がその程度の人間で、あと10年やそこらすればお前も認知症になって、訳が分からない事を言うだけの「ごじゃ人間」になるだろう。

一日中、炭水化物ばかり食べる偏食の脂肪の塊人間。
どこがグルメやねん。ただの偏食狂いだろ。

お前の都合のいい糞勝手な作り話や、虚言虚勢を聞かれて、今度は、認知症になって、結局はそれで死んでいくだけの塵愚図女だろ。

そこに気が付いているから、命に金を賭けろと僕は言ってしまっていたのです。

今はそこまで言わないよ。
もう何も言わないよ。

あの世に金は持って行けないし。

はい、これがよくある話です。

僕が愚か、愚行、骨頂です。

話が分からない相手に、いつまでも話をしようとしている愚行。

これは毒親には何を言っても分からない。理解できない人間に必死になって説明や理解を求める事、話せば解るかの様に、家族だからというみたいに、いつまでもゴミ愚図の相手をしている俺の問題。

・・

じいちゃんの仏壇に手を合わせる。

また日が開いてしまった。

家にあるのにね。

じいちゃん、おっちゃん、おばちゃん、みんな。

みんなを裏切ってしまった。

僕を生かしてくれた人たちの力と想いに、想いを、無下に僕がしてしまった。

それだけだというのだ。

それだけだというのか?

それだけだというのだ。

ここで、ふざけんな、殺してやる。

と、思わない世界に僕は都合良く殺される。

・・

心が膿んでいくのが、わかる、ような気になる。

同時に、自分も少しだけ慣れたのではなく、少し強くなっている。

でも、それは慣れただけかもしれない。

人は慣れでは賢くも強くもならない。

馴れだけでは大人には成れない。

結局のところ。

自分が良ければ善し、の視点でしか感想を持てない人間は、どこまでいっても独りよがりでしかないのだと思う。

年食った老体が徘徊するだけだ。

そんな人間の末路は辿りたくない。

僕は不幸の末路に、腰を掛けて府抜けているだけだ。

中途半端に、まだ明日に期待して明後日に希望を心の何処かで淡くもない儚いだけの夢を見るくらいなら、なんて、馬鹿らしい世界なのだろう、と。

吐く息が弛んで、腑抜け。

・・

今夜の最期は、礼儀を重んじる事、相手を想う心、人間と人間がどう付き合っていくかを考える。

何故かというと、僕は、自分が今回、どの立ち位置から、自分の意思や葛藤を表現するのが良いのだろうかと考えていたからだ。

相手の事を想えば、想えば思うほど、人間というのか、僕は優しく甘くなる。半端者に成り下がって、そこで泣き寝入りみたいになる。

泣き寝入りするだけの力もないけれど、泣くくらいなら最初から、その時の事を考えていなかったのかといわれると思う。

僕は淡い期待なんてしない。もうそれには懲り懲りだ。死にかけるまで裏切られた山口県を忘れる訳がない。

ここでも今一旦名詞を伏せた。

・・

僕は生きる上で、必ず、けじめをつけるとずっと思っている。
それは変わらない。変わらないのだからこれからも変わらないのかもしれない。

・・

礼儀や誠意を履き違えるな。

自己都合で逃げたり、無下、反故にしてしまう事の意味を知れ。

・・

僕の日記の最初の方に

「一生、引き篭もっていればいい」
というタイトルの日記がある。

今は僕にも刺さる言葉。
昨日も来年から一緒に仕事をしないかと提案されたけど、僕は腹が括れない。

恨みと怒りで、いつのまにか心が折れていた。

まさか、今度は立ち直る道筋まで見えているのに、自分がバラバラになっているみたいで、怖くて不安で、もう裏切られるのはうんざりだと思っている。

心が子供のようにすべてを拒絶しようとする。
隙あれば僕の心を折る。

・・

人間は争い憎しみ、血で血を洗うのが人間。
それも僕から見れば普通の事。人間だから普通にあって当然の事だと思っているけど、人はそうは思っていないから、糞勝手なんだろうね。

その一線を越えた結末を提示、提起しよう。世界。

・・

これだって、相手から見れば
「え、何?」
「そんな事言われても困るんですけど」
と言えるのだ。

だから、あの時も、ここで今こうして書く事が僕の視点。

それでどうぞ。あなたも、僕も、御自由に。ご勝手に。

今更、そっちに期待してないよ。


いいなと思ったら応援しよう!