途中メモ
僕はおしゃべりなんだと思う。
だから言いたいことがあり過ぎて、全部それも伝えたくて、だから分かってもらいたくて、聞いて欲しくて、相手の話も聞きたくて、理解したくて。
共有したくて共感したくて感動したくて、と。
僕の中で、僕なりの幸せになる過程(ルート)があるのだと思う。
というか、今までは一つしかなかった気がする。
今はまだ分からない。
分かってはいるけど、理解はしているけど、と言ってしまう。
感動も共有も、それもひとつの押し付けであるという事だ。
価値観の共有なのか、話し合いも押し付けになってしまうのか。
だから、余計に会話をしたがる。雑談も真剣な話、取り留めのない話も、まとまりのない話も、したくなるのだ。
・・
些細な事で、だから何だよ、というような事だと思うけど。
ときどき見かける、鬱になった人が、やることが出来なかったと言う話。
例えば出掛けなければいけないのに出掛けれない。準備や支度が出来ない。外に出られない。外に出ると体調が悪くなる。みたいな話。
僕はお風呂が大好きで、それも考え直さないといけない問題だけど、僕がお風呂に入ろうと思っても入らずにいる、この事って、鬱の初期症状みたいなよくある話のやつだったのか。
ご飯を食べようと思っても、冷蔵庫の付近や台所まで行ってウロウロしたり立ち止まってやっぱり止めたり、でもお腹は減っているから、どこかでは食べる訳だけど、コンビニや外食と思って外に出ても店に辿り着かづ延々と周回する、とか。
仕事はさすがにそうはいかずとも、すべてが半自動で動いているような、我ここにあらずのような感じで。
で。