北寺尾散歩(3)上遠牡丹園
かつて鶴見の名所として知られた、1万坪の敷地の牡丹園がありました。
私の祖父が牡丹園に行ったことがあると聞いていたので、何処にあったのかな?と思いながら散歩していました。
渋沢金井公園から、坂を上がって、道をさがしていたら、地元の婦人達が何処に行きたいの?と声をかけてくれました。
上遠牡丹園のあった場所と上遠家の建物を探しています。と答えたら、親切に教えてくださいました。
「この辺は牡丹園のあった場所よ」と教えてくれた場所は住宅地でした。
上遠牡丹園は大正11年から昭和38年まで開園していました。当時は日本一の牡丹園でした。閉園する時、牡丹の苗は大船フラワーセンターに寄贈されたそうです。牡丹園見たかったですね。
今も残っている上遠家を探して道を下っていきました。
寺尾第二幼稚園の建物がありました。
北寺尾渋沢公園もありました。
上遠家がありました。設計したのは上遠喜三郎です。息子の陸次郎の為に建てた大正時代の洋館です。
上遠喜三郎は「近代日本の建築の父」であるジョサイア・コンドルが開設した設計事務所に明治29年に入所して働いていた人物です。
その後、上遠組という施工会社を組織して、コンドル人脈を活かして仕事をしました。上遠組が作った建物は現代まで残る名建築がならんでいます。
静嘉堂文庫
慶応大学日吉校舎
早稲田大学演劇博物館
有名な建物ばかりですね。上遠喜三郎は昭和24年90歳で亡くなりましたが息子さんが先に亡くなって、上遠組を継ぐ人はいなく、昭和21年に廃業したそうです。もったいないですね。
上遠家の隣は宮川医院になっていました。上遠さんの子孫の娘さんの旦那さんが宮川医院の先生だそうです。案内してくれた婦人が教えてくれました。
牡丹園から、上遠喜三郎の家が見つかって色々な事がわかって面白かったです。
11月3日(火)
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