賢帝の覚え書き。

マルクス・アウレリウスの自省録をやっと読んだ。
岩波文庫神谷美恵子訳のもの。

人に読まれる事を想定せず、自分のために書き留めた哲学的思索をまとめたものなので、一貫した構成があるわけでもなく、重複したことも述べられている。

まあ、プライベートな記録を大々的に発表されてしまい、本人は困惑しているかもしれないが(笑)

ハドリアヌス帝に寵愛され、若くから才覚をあらわしつつも、禁欲的で清廉だったらしい。出てくるエピソードがことごとく、ぐうの音も出ないほどの聖人である。


哲人皇帝の治世は、よく国を治めつつも戦争や疫病など苦難も多かったようだ。
国境は脅かされるし、疫病は流行るし大変だったらしい。
本人も戦場で亡くなっている。


思想はストア派哲学(後期)に基づいており、禁欲的、理性的であるのは自明のところ。セネカと同じように人生は短いと言い、死を恐れず自然に受け止めよ、という主張。彼の死生観、生の儚さへの想いは、多くの子供を亡くしたことも関係あるかもしれない。

それぞれは散文的に書かれていて連続しているわけではないのに、根底には諸行無常という感じが漂っている。
時には、強く自分を戒める。
セネカと同様に、そこには現代にも通じるものがたくさんある。

いくつか引用する。



隣人がなにをいい、なにをおこない、なにを考えているかを覗き見ず、自分自身のなすことのみに注目し、それが正しく、敬虔であるように慮る者は、なんと多くの余暇を得ることであろう。

第4巻 18  

SNSなんて、まさに自分に関係ない人たちの事を覗き見て気にしているわけで。
ローマから人類やってること同じだな。

つねに信条通り正しく行動するのに成功しなくとも、胸を悪くしたり落胆したり厭になったりするな。失敗したらまたそれにもどって行け。そして大体において自分の行動が人間としてふさわしいものならそれで満足し、君が再びもどって行ってやろうとする事柄を愛せよ。

第5巻 9

うまくいかなくてもやり直したらいいよ。

マケドニアのアレクサンドロスも彼のおかかえの馬丁もひとたび死ぬと同じ身の上になってしまった。

第6巻 24

死は誰にでも平等に訪れる。

君がなにか外的の理由で苦しむとすれば、君を悩ますのはそのこと自体ではなくて、それに関する君の判断なのだ。

第8巻 40

ものごとの受け取り方や、捉え方、考え方次第で、苦しみは和らぐかもしれない。

行動においては杜撰になるな。会話においては混乱するな。思想においては迷うな。(中略)
人生においては余裕を失うな。

第8巻 51


ちなみに私は全部出来ていない。
耳が痛い。

ここで生きているとすれば、もうよく慣れていることだ。またよそへ行くとすれば、それは君のお望み通りだ。また死ぬとすれば、君の使命を終えたわけだ。以上のほかに何ものもない。だから勇気を出せ

第10巻 22

厳しく言い放つのではなく、文末に「勇気を出せ」とあるのが良い。

他人の過ちが気に障るときには、即座に自ら反省し、自分も同じような過ちを犯してはいないかと考えてみるがよい。

第10巻 30

これ、大事。
他人のふり見て我がふりなおせ。

親切というものは、それが真摯であり、嘲笑やお芝居でないときには、無敵である。

第11巻 18

無敵は力強くていいな。


などなど。
生の儚さと自分への戒めの言葉を繰り返し、まさにストイックという感じ。
道徳的というか、善くあることへの強い想いというか意思が伺える。
人にやさしく、自分にきびしく。
それを、貴族であって皇帝となっても貫いたらしいのは、素直にすごいと思う。
こんな思索を巡らせながら、戦の前線にいるんだからね。


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