
【遺書日報_セカンドシーズン】2021年4月13日
こんばんは。今日も書きます。
さて、最近の遺書日報は「突出した能力もカリスマ性もないADHDがサスティナブル生活を目指す」記録になりつつありますが、これはこれで良いかなと思います。
何せ書いていて楽しい。
未来の自分が生活に困った時にこれを見返しておくれという気持ちでえっさほいさと書いています。
自分を過小評価する必要も過大評価する必要もないのです。
さて、サスティナブル生活のために気づいたこと、それは、物が多いと管理できないという至極当然のことです。
先日も書きましたが、やっぱりミニマリズムと社会生活へたくそADHD(私)は相性が良いと思います。(※すべてのADHD傾向者に当てはまるわけではないのでご注意ください!)
私の中で大きな決断(?)となったのが、大学・大学院の授業で使用したプリントなどをごっそり処分したことと、紙の本を手放したことです。
大学・大学院の授業プリントはぶっちゃけ「あれ?見返すことなくね?」で瞬殺でした。今後も役立ちそうなもの、見返しそうなものだけ残していますが、それ以外のプリントとは別れを告げました。めちゃくちゃ部屋がすっきりしました。
一方の紙の本はというと、かなり悩みました。
電子書籍の利便性は重々承知しており、最近では紙の本以上によく使っています。しかし、電子書籍についてのデメリットから目を背けてはいけないなと痛感しています。
何故ならば、電子書籍を「購入」したとしても、所有権を購入しているわけではないからです。
(とは言いつつも、私は法の専門家ではないので、厳密なことはまるで分っていません。お恥ずかし。)
データという形で本を所有したつもりになっていても、ある日突然手元からデータが消えているということは、なんらおかしなことではありません。
また、検閲に引っかかったページが読者の気づかぬ間に差し変わっているなんてこともあるかもしれません(たぶんあります)。
これは紙の本では絶対にありえないことです。
ともするとものすごく危険なことでもあります。
こういうことをうにゃうにゃと考えていると、なかなか紙の本を手放すという選択を取れずにいました。
では、何故こんだけうにゃうにゃしておきながら、「よし!紙の本を手放そう」という急転換ができたかというと、そう、皆さん大好き(?)図書館があるからです。
図書館は知を蓄積する機関です。
最近は図書館に紙の本を置かずに(!!)サードプレイスとしての役目を持たせるという方向転換が起きつつあるようですが、現時点では個人が電子書籍を「所有」しづらいという点からみても、物理的な本を保管しておく機能はまじでめっちゃ重要だと思います。
では、個人である私はというと、有機的に成長し続ける図書館に本の未来を託そう!(つまり丸投げ!)と思い至り、紙の本を手放す決意を固めました。
任せた図書館!
私設図書館を運営できるほどの財力と体力が私にあれば紙の本を手放さない方が良いかなと思いますが、現時点でそのようなものはなく、将来展望もないので、図書館の未来を応援しつつ紙媒体を持たない方針に転換しようと思いました。
紙が恋しくなったら、君のところに行くね、図書館。
ということで、図書館について改めてじっくり考える良い機会となりました。
私は過去に、図書館について勉強する機会に恵まれたのですが、ぶっちゃけその時は図書館の重要性についていまいちピンときていませんでした。
どちらかというと、「お!北欧の図書館はイケイケで、飲食スペースをがっつりとったり、ゆったりくつろげる空間づくりをしたりして、『場としての図書館』を押し出しとるやん!!GOGO!」程度の認識しかしていませんでした。愚か……。
国立国会図書館の現在の納本状況はどうなっているのでしょうか?
(ちなみに2011年の研究では、ほとんどのポルノグラフィは納本されていないようでした。)
J-STAGE Articles - 国立国会図書館におけるポルノグラフィの納本状況
(ちなみにちなみに、この研究をきっかけに高校時代の私は図書館について学ぼうと決めたのですが、その情熱はどこへ……。)
また、紙媒体の話から逸れてしまいますが、ボーンデジタルの資料の保存方法はどうなっているのでしょうか?
ここらへん、現在の私は最新の研究を追ってないので、まっっったくもって無知です。
自らの暮らしの利便性を追求して、電子書籍オンリーの生活をしたとして、知らぬ間にどんどん検閲が進んでいた……、さっきまで読めていた本のデータが消えた……、という未来は来ないとは言い切れません。怖。
ということで、ミニマリスト的生活と、知の蓄積に対する不安という観点から日報を書いてみました。真面目……。
これにて本日の日報は終わりです。