【遺書日報_セカンドシーズン】2021年4月26日
こんばんは。今日も書きます。
今日も今日とて過集中について書こうと思います。
以下、過去の過集中日報。
ADHDライフハックの猛者・借金玉さんが今日のツイートで以下のようなことをおっしゃっていました。
本当に全くもってその通りだと思います。
人生において過集中は抜群の効果を発揮するということも、とはいえ下限が0ということも、身をもって感じています。そして、健康的なルーチンを身体に沁み込ませることの困難さも重々承知しています。
しかし、この過集中に身を委ねる行為について若い肉体ではいくらか耐えられても、その後の人生においても同様に耐えられるかと問われると、私の人生の場合ぶっちゃけビミョウです。
私は大学4年生あたりでかなり無理になりました。そもそも一人暮らしでなかなかに生活がやれてない上、過集中でなんとかしてしまう戦法しか持っていないと結構な局面で詰みになります。大学院1年の時についぞ「これはなんだか全然だめだ」と言語化できないながらも不安を抱えて心療内科に行き、ADHD対策を練りました(が、結局コンサータもストラテラも身体に合わず、結局薬を飲まないようになりました)。
社会人になってからはADHD特性云々以前の問題で心身ともにあっちゃっちゃーになりましたが、とにもかくにも心身の健康を維持するには、過集中に頼りっぱなしだと厳しくなってくるのではないかと思っています。
若い頃は過集中ブーストに頼るのはめちゃくちゃアリだと思っているのですが、年齢を重ねるごとに戦法を増やしていく方が良いのかなと個人的には考えています。
自分の戦法としては、集中力の底上げを目指す方向でやっていこうと思っています。
下限を0ではなく、1にする。
上限突破も大事ですが、そもそも過集中で知らず知らずのうちに上限ぶち抜いて身体に高負荷な状態になってしまう特性に対してお手上げなので、現段階では下限に目を向けるのが大事かなという考えに至りました。
この0を1にする作業に注力したいと思います。
「がむしゃらに走れるだけ走る」も大切にしつつ、「疲れずに長く速く走れるようになるための地道な作業」も大切にしたいと思うこの頃です。
これにて本日の日報は終わりです。
目指せサスティナブル自活。