道具的な目的としての方便の話と、まちづくりやボランティアという言葉の道具的性格について
最近お友達と話していて面白かったことで。
方便という言葉がある。もとは仏教用語で、ある目的を達成するための、便宜的な仮の目的のことを指す。それでいうと、一見目的らしく見えることでさえ、実は手段なのである。例えば「お金を得るのが目的です」といったところで、「なぜお金がほしいのか」というと「何かを買うためです」みたいな話になる。つまり一見目的に見えることでさえ、手段なのである。
よく、手段を目的化してはいけない、という警句が語られる。しかし逆に、目的の手段化というものもあるわけだ。
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